SSブログ
過去の経験談 ブログトップ
- | 次の10件

ダイノックシートとは? [過去の経験談]

今から約30年前、建築業界で、画期的なモノが発売されました。

固くて冷たい印象の鉄の扉を
柔らかくて温かみのある木の扉に変える
魔法のようなモノ、《ダイノックシート》です。

30年前は、ベルビアンの方が有名でしたが・・・

今では、極々当たり前に、いろいろなところで
使われているカモフラージュ・シールですが、
建築業界で使われだしたダイノックシートは
模様はもちろんのこと、
印刷された模様に合わせて、凹凸もしっかりあったので、
パッと見では、本物の木材なのか、
偽物の木材なのかの違いが分からないほど
よく出来たものでした。

友人が修行していた内装会社は、
なんでも屋さんでしたから、
もちろんこういった新しい材料の
依頼もバンバン来て請け負っていたので、
独立するころまでには、かなりの数を取り扱っていたんです。

『ダイノックシートを貼りたい』という需要は
業界全体で年々増えていったんですけど、
肝心の取り扱える職人はまだまだ少なかったので
2003年頃は、ダイノックシート目的の
仕事依頼が、かなりたくさん来たんです。

需要と供給のバランスが崩れていたことが
友人にとって、いい追い風になりました。
しかも、他にもダイノックシートを扱える職人がいたのに、
どうして私に依頼がたくさんきていたのかにも理由がありました。

内装会社時代にいろいろなことをヤラされていたので、
クロスはもちろん普通に出来ましたし、
ダイノックシートも出来ましたし、
床張りも出来ましたし、カーテンも出来ましたし、
とにかく内装に関わることは全般的に出来たんです。

普通だと、クロス屋さんを呼んで
ダイノックシート屋さんを呼んで
床(ゆか)屋さんを呼んで、
カーテン屋さんを呼んで、
と、それぞれ別々に連絡して、
別々に職人を呼んで、
段取りとかも組まなければいけないですし、
しかもそれぞれの職人に、
2万円ずつの支払いをしなければならないので、
6万円とか8万円とか掛かります。

でも、友人を一人呼べば、
連絡も一回で、段取りも私が勝手に組んでやりますし
支払いも少し色を付けて4万円くらい渡しても
依頼先としては楽だし出費も低く抑えられるんです。

なので、小さい町の工務店のような
小さい仕事を請け負っているところからすれば、
私の存在はとても貴重だったのですごく重宝されてました。

馬車馬のように必死で働いていた内装会社時代ですけど、
ここで番頭として、入職最年長として
7年間頑張ってきたことが役に立ったんです。
もしこれが普通の内装会社に勤めていたとしたら
ダイノックシートを扱うこともなかったでしょうし
カッター1本すら無い状態での独立で、
ここまで上手くいかなかったと思います。

今まで経験してきたことの一つ一つが、
少しずつ繋がって、絡み合って、
友人はいい方向へ進んでいるなぁ~と感じられました。

ひっきりなしに、仕事が舞い込んできている頃、
友人の妹の旦那のお義兄さんから一本の電話が掛かってきたんです。

続きはまた・・・・・
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

会社を辞めて、身も心も自由になった私は、
最初のころは、親父の面倒を見ていましたが、
手術を終えた親父は体調が悪くなり、
手術の甲斐もなく死んでしまったんです。

ただ、親父が少しだけお金を残してくれました。

その金額300万円。

お金がなくて会社をやめることが出来なかった
私にとっては、こんなことを言ってはなんですが
願ってもないチャンスでした。

これで、少しだけ新しい事にチャレンジする事ができる。

やりたいことは決まっていたのですぐに行動を始めたんです。

《プログラマーになりたい!》

という夢のために歩き始めました。

27歳になって、初めてまともに履歴書を書きました。

自衛隊も、私が入隊した当時は、
なんとなくの経歴を書いたものだけでしたし、
内装会社は友達の声かけから、
流れで就職したようなものだったので、
履歴書なんて書いたこともありませんでしたし、
書き方すら知らなかったんです。

でも、なんとか書いて
面接のアポイントを取り付けて
入社試験を受けました。

会場へ着いて、履歴書を提出すると、

「あれ?写真は?」

と言われて、履歴書では当たり前に重要な

《証明写真を貼る》という行為すらできていない
職人丸出しのダメ人間でした。

そもそも、27歳にして
ちゃんとしたプログラミング経験や経歴もないクロス職人が、
突然面接へ行ったって受かるはずがありません。

ある会社へ面接へ行ったときのこと、
その会社が入っているビルで
エレベーター待ちをしているときに
私の前に50代くらいのオジさんがいたんです。

見るからに“ダメな中年”といった風情で
エレベータが到着しても動作がゆっくりだし
チンタラ乗り込んでいたので、
「ねぇねぇオジさん、早く乗りなよ。こっちは急いでんだけど」
と、文句を言いながら乗り込んで目的の階数ボタンを押して
エレベータが到着するのを待っていました。

到着すると、ダメそうな
中年のオジさんも同じ階で降りたので、
『なんだ、一緒の階かよ。縁起悪りぃなぁー』
と思いながら、トイレへ寄って面接へ向かいました。

受付で案内されて、
“コンッコンッ”とドアのノックして会場へ入ると
面接官がいたのですが、
なんと先程のダメそうな中年オジさんだったんです。

『は?あのオッさん、なんで座ってんの??』

予想外の出来事に、完全にパニックになり、

心臓の鼓動は強くなって
『“ドクン、ドクン”という音が周りの人に聞こえるんじゃないか』

と思えるくらい身体の中で大きく響き渡り、
イヤな冷や汗が、背中一面に吹き出し、
頭のテッペンから足の指先までの
全身の毛穴という毛穴が開いていくのが感じられました。

私が『ダメ中年』と思い込んでいたオジさんは、
この会社の社長だったんです。

もちろん、見事に落ちました。

合計で5社くらい面接を受けて
全ての会社から不採用通知をもらった辺りから
『これは、もういくら受けても無理だなぁー』
と思い始めていました。

面接に落ちまくっていた脱力感とあいまって、
1~2ヶ月ほどプラプラしていたときに、
自衛隊時代の同期から突然電話が掛かってきたんです。

・・・・・・・・・・・
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog
- | 次の10件 過去の経験談 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。