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必ず過去の行動の結果が現在です!! [過去の経験談]

山田社長メルマガシェアです。

今週はアメリカのハワイにおられるそうで、
過去のメルマガを振り返るシリーズです。


それではどうぞ!!
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以下は、2010年12月7日の
私のメルマガに加筆修正したものです。

井口晃さんと一緒に
アンソニー・ロビンズのセミナーに参加。

懐かしい!

美女の森西先生の話も。

楽しんでください。

おはようございます。


あ、こちらの現地時間です。


山田です。


今、私はカリフォルニアのパームスプリングスにいます。

ゴルフとかが有名ですね。

エネルギーに満ちた素晴らしい朝を迎えました。

豪華なホテルでトニー
(アンソニー・ロビンズ)のセミナーを受けます。

2000人とか(笑)

ほんとうに素晴らしい朝です。

元気一杯です。

そして、人生を変えます!

「山田さん、充分に変わっているじゃないですか?」
と言われます。


いや、「これからです。」

私が本気を出して生きていくのは
「これからです。」

そう、100パーセント信じることができました。

そして、義兄弟の井口さんと一緒です。

アンソニーのセミナーを受けながら、
部屋や休憩時間には井口さんの話が聞けます。

素晴らしい!

私は、山田塾で従来のコーチングの枠を超えた
存在になりたいと思っています。

そのためのノウハウをたっぷりと聞いています。

山田塾、最高のものとなると思います。

井口さんは、トニーのプラチナパートナーでリーダー、
凄い有名人です。

朝食もゆっくりと食えないくらい(笑)

井口さんに聞くと日本のコーチ、
NLPのトレーナーが知らないか
勘違いしていることも知ることができました。

やはり、この世界も英語圏が中心です。

英語が出来て、
パイプがある人のほうが情報が数年は早いですね。

井口さんはもてるのですが、
「ここで彼女をつくる」とか言っていました。

「向上心のある素晴らしい女性が多いから。」

私も付き合うことにしました。

いや、日本人の女性も素晴らしい女性だらけです。

私のミッションというか、夢。

「3人目の子供」

いろいろな意味があることが分かってきました。

・スロートレーニングも私の子供です。

・これから、山田塾でつきあう方も私の子供。

・そして、まだ「見ぬ我が子」。

これは本物の子供。

母親になる人を探さないと駄目ですね。

これからの6日間で自分の潜在能力を発揮する
準備をやります。

それでは、また、メルマガで報告していきます。

ただし、時間がない場合は許してください。

今日はスタートが遅いですが。

朝の9時から夜中の11時までセミナーらしいので。

連絡です。

井口さんから。

「『維新』の告知もしてください。」と言われました。

義兄弟です。

なにかあれば、私に言ってください。
井口さんも納得していますので。

1.関東忘年会
アメリカから帰ってきた直後に参加します。

土産話あり、エネルギーもあると思います。

もちろん、森西先生も。
12月14日 19:00-21:00
個室 旬彩 居酒屋 八重洲 四季の詩


会費6500円

2.関西:「凱旋報告会」(笑)
もう、関西忘年会は終えたので、
「凱旋報告会」と名前を変えた。

昨日と場所と時間を変えました。

忘年会は人数が多かったので、
少人数でじっくりと語り合いたいです。

森西先生は無理を言って
(私の場合いつもそうですが)、
参加してもらいます。

12月19日の19時30分から。

酔虎伝 石橋店

フォームID P70764016
3.山田塾の募集、帰国後になります。
突貫作業でやりましたが、間に合いませんでした。

そして、アメリカでは
「朝9時から夜の11時以後までセミナー」
という生活です(笑)

でも、申し込んでくれたかた全員に
トニーのエネルギーを運べると思いますので、よろしく。

今日も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

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ミスコン以上の人、稀にいますよね? [過去の経験談]

山田社長メルマガシェアです。

ちょっと振り返って・・・
と言った感じで、過去のメルマガへ
タイムスリップ・・・なようです。

会社を辞める時の、期待と不安感は、
何とも言えない物がありますよね!!

それではどうぞ!!
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以下は、2009年10月19日の
私のメルマガに加筆修正したものです。

楽しんでください。



山田です。



昨日のメルマガに対して、暖かいメールを頂きました。

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いやぁ最高ですね、今日のメルマガ。

痛快過ぎて笑ってしまいました(笑)

そうです、そうなんです、
男の憧れは各国共通なんですよ!

極真空手の創始者、故大山倍達総裁は、
「喧嘩の強い奴は、女にもてるよぉ~」
と言ってましたしね。
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私の返事。

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いや、恥ずかしい話ですが、私は、長い間(40年)
もやっているのに「なぜ、筋トレするの?」
という根本的な問いを考えなかったのです。

それで、途中、ボディビルコンテストに
出たりしたのですが、
「いや、違う。何か違う。」と違和感を感じていました。

もっと早く気がついていたら、
今頃は、愛人が一杯いたかもしれません(笑)

私は、目標を自覚したら、必死でやるほうですので。
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とほほ、私は、目標を達成するための手段に
のめりこんでいたのですね。

「私は間違っていた。」

間違いを修正するために即、
美女と飲みにいきました
(即、つまり、昨日の夕方)。

175センチ(私よりもだいぶ、大きい)、
スタイル良し、顔良し、性格良し
の超美女で声楽家(オペラとからしい)。

いや、正直に言いますと、
私の今いる会社(今日まで)の女性です。

同じ時期に辞めるので、
「一緒に送別会しよう」ということです。

でも、本当の美女、
ミス何とかでも優勝できそうな感じ。

音楽の世界は、私の未知の世界ですので、
話は非常に楽しかったです。

彼女も私の話に
「山田さんの話、面白いし、興味深いです。
うちの会社に山田さんみたいな人がいたとは。

今まで、山田さんのように元気をくれた男の人は
いませんでした。

もっと早く、一緒に飲みにいっていたら、
楽しかったのに。これかも是非。」

と言ってくれました。

私の青春が戻ってきたのかも(笑)

今日は、もう一つの問いです。

「なぜ、筋トレで大きな成果を上げる人もいるのに
全く発達しない人もいるのか?

同じトレーニング法、サプリメント、休息?」

私は、この根本的な問いも深く考えていませんでした。

なんでしょうねえ。

次回(私は、今日が最終日なので、自由の身になった最初のメルマガで)、
私の考えを述べます。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。


山〇〇治

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催眠術を駆使し、キャバクラ大魔王の道へ!! [過去の経験談]

七★社長メルマガシェアです。

催眠術に興味を覚え、
キャバクラで実践しまくった?
という実話が記載されてました。

興味のある方是非どうぞ!!
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ここから私の、キャバクラ狂い生活が始まりました。

不特定多数の女の子に催眠術を掛ける練習をするのに、
キャバクラが一番手っ取り早かったんです。

まだそれほど稼げていない時期でしたけど、
3ヶ月で500万円、インターネットで稼げたお金を全額、
キャバクラに注ぎ込んでいたくらいです。

毎日のようにキャバクラへ行き、
催眠術をやってみると意外と成功するんで、
『なんだ、俺もやりゃ出来んじゃん。ちょっと面白いな』
とどんどん楽しくなっていきました。

もちろんやり始めでしたから、
師匠のように上手くはできませんし、
高度な技とかはまだまだ使えませんでしたが、
実際に自分が催眠術を出来るという感覚が付き始めて、
簡単な催眠術なら大抵の女の子にできるようになっていきました。

最初は、高田馬場のキャバクラで銅の剣を振り続け、
次々にスライムを攻略していって経験値を貯めて、
レベルアップしたころに、次の町、
歌舞伎町に進んだまでは良かったのですが、
まだ経験値が足りずに惨敗しておずおずと引き上げ、
少しレベルの低い中野を攻略することにしたのです。

中野ではブイブイいわせることが出来たので、
錦糸町や吉祥寺など、他の街のキャバクラに進出して
さらに経験値を貯めていきました。

しばらく経験値を貯め、
レベルアップしたころに再び歌舞伎町に挑むと、
少し上手く行き始めたので調子に乗って次の町、
六本木に挑むとまた撃沈しました。

ドラクエならレベル60くらいもあれば、
全エリアをクリアできますけど、
まだレベル10くらいしかなかったのに、
六本木に攻め込むなんて早すぎたのです。

六本木での撃沈は思いのほかダメージが大きく、
少しの間挫折してしまいましたが、
また歌舞伎町に戻ってキャバ嬢に催眠を掛け続けてました。

夜の8時からキャバクラへ行き、フリー2時間遊ぶと、
6人くらいの女の子が隣につきます。

その娘たちに簡単な術を掛けては解き掛けては解きを繰り返し、
そのあとは夜10時から深夜1時までハプニングバーへ行って
来るお客さん来るお客さんに次々と術を掛けていくというという。

催眠術実践の練習ローテーションを半年間くらい、
ほぼ毎日通ってやっていたのです。

しばらく繰り返していると、
キャバクラへ行けばキャストの女の子たちが

「あー、来た来た!待ってたよー」

とお出迎えしてくれるようになり、新人の娘が入店すれば
「あの人、面白いことしてくれるから行ってみなよ」
とか
「リラックスできる術を掛けてくれるよ」
とか
「気持ちいいことしてくれるよ」
とか、半ばお店公認で催眠術をかけさせてもらっていました。

何人も実践でやっていると、
やたらと術が掛かりやすい女の子が現れて、
専用の練習台のような女の子も手に入りました。

思い返してみると、全然可愛くもないし、
見た目も仕草も頭も良くないレベルの低い女の子で、
一緒に歌舞伎町を歩いているのを見た知り合いからは

「本当ーーーーにダサいから、あの娘と一緒に街、
歩かない方がいいよ。マジで!」

と念を押されるレベルでした。

それでも自分の力だけで初めて手に入れた女の子です。

今では、あのデヴィ夫人とも一緒にいられるくらいに
なりましたけど、当時のコミュニケーション障害のような私には、
身分相応な女の子だったと思います。

そんな練習用の女の子たちがいたからこそ、
催眠術の技術がメキメキ上がりました。

催眠のレベルがあがり、コミュニケーション力が上がると、
連れ歩く女性のレベルがドンドン上がってきます。

そこからたくさんの夜の女の子と付き合って行って、
私自身のレベルは女の子たちによって引き上げてもらった
感じですし、それに伴って付き合う女性のステータスも
徐々に上がっていきました。

ちなみに、デヴィ夫人はドラクエならば竜王です。

たとえロトの剣を手に入れたとしても、
扱う人間がレベル10ならとてもじゃないですが叶いっこありません。

しっかりとレベルを上げて、
剣も女性も徐々にいいものにしていったからこそ、
ようやく夫人とも付き合えるようになったのです。

よく「夜の女の子は口説けない」と言いますが、
私からすれば全然そんなことはありません。

まずお金を払ってお店へ行っているので、
無視されることはありませんから、
とりあえず話は聞いてくれます。

そこに私だったら【催眠術】という武器がありますし、
誰でもなにか武器があってそれを使えばいいですから、
普通に街を歩いているような女の子に声を掛けるより
遥かに成功率が高いと言えます。

このように、ほぼ毎日10人近くの女の子に術を掛け続けていると、
師匠よりも催眠術が上手くなってしまっていることに
気が付いてしましました。

それはそのはず、私の方が催眠術に関してもそれ以外でも
かなり勉強していましたし、
年齢も若くてバイタリティもパワーもありました。

何より催眠術には、独特のバイオリズムがあって、
熟練者よりも覚えたての術者の方が
上手く催眠術できることもあります。

師匠は、当時とすれば上手かったですし
何より教えるのが上手かったのですけど、
やはり若さと基礎の土台とバイタリティと
練習した人数が私の方が圧倒的に上回っていたので、
実践練習を初めて一年を経過する頃には、
師匠の実力を抜き去り、
遥か上のレベルにまで達してしまっていました。
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理想の自分の国、「ランド」 [過去の経験談]

おはようございます、山田です。

2日前に三田市でのセミナーを終えた山田です。


自分でセミナーをやると参加者さん以上に自分の方が、

「そうだったんだ!」と気づくことがあります。

ワークとかやってもらうのですが、
私の場合、自分も同じことをやることが多いのです。

2日前の日曜日もそうでした。

・自分の価値観を問う課題でした。

そして、さらに良い人生にするために「価値観の並び替え」をする。

私の価値観の並び替え。進化を1番に持ってくる。

これで、ちょっと前に会った「さとり」さんから聞いた
「自動システム化」が頭に浮かんできたのです。

前から、「やりたいなあ」と考えていたのですが、
苦手意識から、先延ばしになっていたのです。

でも、価値観の並び替えをやることで、俄然、やる気になったのです。

そして、「悟り」が天から降りてきたのが
・「自分に対するご褒美」という課題。

普通、「美味しい食事」とかワインとかになるのですが、
私の場合、「気の合う仲間とワイワイ楽しくやりたい。」
こういうのが出てきたのです。

それも趣味の筋トレ仲間が良いですねえ。

ゴールドジムは、設備は良いですが、
そういう親交を深めるものはない、あるいは少ないのです。

自分で作りたいなあ。

こう考えると私、以前にこういう同好会を作っていたのです。

ちょっと長くなりますが

30歳頃かな?

・当時、私は、
西宮のエグザス西宮というフィットネスクラブで
トレーニングしていました。

ボディビルジムではなく、フィットネスクラブ。

・暇つぶしにボディコンテストに出るとミスター関西で7位。

私より下位にその年の
「ミスター大阪」「ミスター京都」「ミスター兵庫」「ミスター岡山」
とかがいて、過去の県大会優勝者もいました。

凄かったですね。

・一般人ばかりのジムエリアで、
ボディビルチャンピオンの肉体を持つ私は目立っていました。

・そして、当時、付き合っていた小太りの彼女を指導すると。

見違えるような美女に生まれ変わり、
彼女はテレビの「美人コンテスト」で優勝。

⇒ハワイ旅行その他を勝ち取る。

・噂が噂を呼び、「私にも教えてほしい」
という方ばかりになりました。

・乞われるままに多数の男女に
正しいトレーニングを指導していました。

クラブにトレーナーがいたのですが、
会員さんで熱心な男女は私に依頼してきました。

・私の弟子?たちも他の会員さんを指導するようになってきました。

・ある日、スポーツクラブの支配人からクレームがありました。

支配人
「山田さん、一応、トレーナーもいるのです。
彼らの顔が丸つぶれです。」


「もっと勉強させたら、エエのや。基本も知らない。」

私は意地悪でした(笑)。

・しかし、支配人が可哀想なので。
「トレーニングの同好会を作る。
熱心にトレーニングしたい人は同好会に入ってもらう。
これでエエやろ。顔も立つし。」

こういう妥協案で支配人に判を押させたのです。

・人脈(当時は美人と知り合うこと)も
自動的にできるシステムになり、楽しい日々でした。

バブル華やかなりし当時は、会員さんの大部分が
若い女性だったので、ウハウハでした。(笑)

そう、つまり、私は、「システムを作ること」は、
得意科目だったのです。

2日前の三田のセミナー会場で、私は、そのことに気がついたのです。

「悟り」が天から降りてきたのです。

「豊治よ、インターネットの自動システム化も
現実社会での組織作りも根本は同じだ。
むしろ、多数の人間を動かさないといけなかった同好会作りの方が、
難易度は上だろう。

お前は、『システムを作ること』のプロなんだぜ。

結局、システム作りは、『現場監督になること』なんだ!
お前なら、できるよ。」

言葉にするとこんな感じかな?

でも、私は、とても興奮して嬉しかったのです。

参加者の方、多分、気がついていない。

あの日、事務所に帰り、昼寝(30分)から醒めると
さらに「やったぜ!」という感じが強まりました。

参加された方にもお裾分けしたい気持ち。

私の場合、偶然にすべてがうまくいったのですが。
(本当は偶然ではなく、大いなる力、つまり、私の主護霊導きですが。)

まとめると以下の通り。

・自分の問題点、課題をクリアにする。

・過去に「自分が成し遂げたこと」で、共通するものがないか?

考えてみる。

・過去にそういう例があるならば、コンバート(変換)すれば良い。

「山田さん。スポーツクラブで同好会を作って成功した体験が、
なぜ、ネット上に自動システムを作るのに繋がるの?
全然、関係ないじゃん!」

ああ、外見は違いますね。

でもね、どちらも鍵はメンタルなんです。

あの、私がメンタルトレーニングの熟練者
というのを忘れないでください。

メンタルトレーニングに熟達すると
一見、関係ないような成功体験を別の方面に増幅できるのです。

アメーバのように増えていくイメージ。

恐るべし、本格派のメンタルトレーニング!

はい、今日は、2日前のセミナー参加者さんに伝えたいことを
メルマガに書きました。

「俺は『プロの現場監督』だあ!」でした。


山〇〇治


PS.私の趣味?に「仙道」があります。
中国に伝わる仙人になる方法。

私、1日を終えて、毎日、自分の仙道の「国」で、
幸福感に浸りながら、眠りにつくようにしております。

最近、理想の自分の国、「ランド」
を作りたい気持ちになっております。

世界中のリゾートとかが一つになっている国。

これも「現場監督の技」で、作れますね。


燃えております。

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人生を動かす2人との出会い [過去の経験談]

七★社長メルマガシェアです。

元自衛官を経て、デリヘル露天商その他、
世間一般では、闇といわれているような職業の方とも
商売で繋がったりと、激しい人生を送られてます。

それではどうぞ!!
_____________________________

■■人生を動かす2人との出会い

【クロス壁紙張り替え職人.com】のサイトのアクセス数は、
日を追う毎に増していく一方でしたから、
1日のうちに10-20本くらい
「内装工事お願いしたいんですけど、いつだったら空いていますか?」
と引っ切り無しに電話が掛かってきていました。

さすがに全部の依頼を、私が一人でこなせるわけではないので、
比較的割のいいお客さんだけに絞って自分で仕事をして、
それ以外は自分の内装仲間に仕事を振ったりしていました。

悪どいようですが、内装仲間は自分で新規顧客を掴むことが難しいので、
私から新しいお客さんを紹介してもらえることを
楽しみにしている人ばかりだったのです。

なので、私はたくさんのお客さんの中から、
質のよいお客さんを選別して仕事を受けるようになっていきました。

そうして出会ったお客さんの中に、
私の人生をまた大きく動かす人物がいたのです。

しかも、二人この二人との出会いがなければ、
今の私は絶対に存在しなかったと断言できるでしょう。

なぜなら、私がここまで今の立ち位置を確立できた大きな要因には、
単にビジネススキルやマーケティングスキルを磨いて向上させただけではなく、
突出してコミュニケーション能力を身につけたことがあると言えるからです。

■■一人目
まず一人目との出会いは、超簡単で割のいいおいしい仕事のときでした。

「あー、もしもし、おたくって、なんつったっけ、
ダイノックシート!の仕事をうけつてますか?

「うちは一応そのダイノックシートを専門でやってますからね。
施工数でも他のどこよりも多いですよ。」

「んじゃ話は早い。早速なんだけど、
そのシートって壁以外にもどこでも貼れんの?」

「壁じゃなくてもどこでも貼れますよ。」

「デッカイ机に貼ってもらうことってできないかねぇ。
机がずっと同じ模様だと他を変えてもあんまり変わった気がしないんだわ。」

「そうですね、その机がよっぽど特殊な材質や形状じゃ無ければ、
だいたい大丈夫ですよ。」

「そうかそうか、じゃあちょっと頼みたいんだけどいいかい?」

机に貼るとかだと手間の割に面積が小さく、
請求できるお金も2-3万円くらいと大した稼ぎにならないので、
体よく断ろうかとも思ったんですが、
たまたま近場で別の用事があったので、
『ことのついでで2-3万ならいっか』と軽いノリで受けたのです。

机の貼り替えなんて一般の人からはあまり注文がないもので、
大抵は模様替えが好きなヤクザの親分さんからの注文ばかりでした。

ご存知のように、ヤクザは極度の見栄っ張りですし、
お金だって一般人からすればたくさんもっていますから、
「壁紙をもっとゴージャスなやつに変えてくれ。」
とか
「机をもっと重厚な感じにしたいんだけど、どうにかしてくれ。」
とか、そういった注文が多くありました。

用事を済ませ、改めて電話して詳しい住所と場所を聞き、早速会社へ伺いました。

そこは駅からほど近い、商店街の一角にあるなんの変哲もない雑居ビルの6 階でした。

一階が激安弁当屋になっている脇に、薄暗く狭い通路があり、突き当りには
4人も乗ればブザーが鳴ってしまうような小さなエレベータがありました。

エレベータ横の階段は、弁当屋のトレーなどの段ボールで溢れ、
とても使える状態ではありません。

湿った空気が充満したエレベータに乗り込むと、
私一人の体重だけでもふわふわした感覚があったので、
何年もまともに整備されていないエレベータなんだなと感じました。

6階のボタンを押すと、一瞬ガクンと不自然な挙動をしてから上昇し始め、
“チーン”と妙に安っぽい音が鳴ると同時にドアが開きました。

エレベータを下りて数歩のうちに扉があり、
そこには【〇〇プロモーション】と書かれた看板がありました。

『どこかで見たことがある会社の名前だなー』

と考えながら扉をノックすると、
中から20代後半くらいで一見すると生真面目なサラリーマン風だけど、
どことなく影のある印象の男性が顔を覗かせました。

「こんにちは。ここは〇〇プロモーションですけど、
本日はどういったご用件でしょうか?」

「あ、はい、内装屋の七星と言います。
こちらの会長から会長室の机を模様替えしたいとのことで
ご依頼いただきまして、会長へは先ほどもうすぐ到着する由、
お伝えしてあるのですが…」

「かしこまりました。こちらで少々お待ちください。只今、確認してまります。」

妙に畏まった口調で語りかけられ、
指示された通り入り口付近で待っている間、
社内を伺うと他に3人ほどの男性社員が、
目を充血させながら映像の編集作業を黙々と行っていました。

程なくして、すぐに会長と分かる感じの、
どっしりと肝の据わった男性が奥からゆっくりと現れました。

どう見てもとヤクザの組長です。
『うわーやっちまったー。これヤクザの表向きな会社っぽいなー』
と不安に思っていると、会長から気さくに声を掛けてもらえました。

「おー、内装屋さん、急なお願いなのに早速来てもらっちゃって悪いね。
助かるわ、ホント。じゃあ、こっち来てもらっていい?」

働いている社員たちの間を抜け、奥にある会長室へ行くと、
バカでかい応接セットの向こうに、誰が見ても一発で
『あ、これ会長の机だ』と分かる、
さらに一回りデカい机が鎮座していました。

幅は2mを超え、机の厚みも7cmはあるこの机は、
おそらく100kgはあるで しょうし、価格も相当なものなことが伺えました。

「会長、この机、凄いですね。今のままでも見ただけで
『この机は価値の高いものだ』って分かりますよ。」

「お!そうかそうか、さすが内装屋さんだな。やっぱいい目してるね。
今までたくさん高価なヤツとか見てきたんだろ。」

「まあ、そうですね。仕事柄一般の人よりは
ちょっと高価目のものを見る機会が多いかもしれないです。」

「そうかそうか、そうだよな。で、この机、どう思う?」

「当たり障りのない返事をすると、重厚でイカツいけど、
でも誰しもが凄いと感じる机ではない気がします。」

「あ、やっぱそう思う?そうなんだよなー。
結構いい値段したんだけど、イマイチパッとしないつーか、
どことなくチープな感じがするのがいただけないんだよ。
どうにかなんないかね。」

「そうですねぇ、うーーーん。これくらいガッシリとした机だったら、
全体を大理石調にしてみるとかいいんじゃないですかね。

ウチで扱ってるダイノックシートなら、よく見ても、
たとえ触られても、それがシートだってまず分からないですよ。」

「おーいいね、それ!でも本当に分かんないもんなの?」

「じゃあ、まあ、それでやってみるんで、
もし気に入らなかったら言ってください。

シートなんですぐに剥がしちゃいますから。
で、そん時はまた別の考えます。」

「分かった、任せるよ。よろしくー」
そんな感じで話が進み、
パパパッと仕上げて別室で待機していた会長に見せると
「おーすげぇな!これがさっきと同じ机だとは全然思えねぇな。
しかもこの大理石調、超しっくりきてんじゃん。さすがだな。」

「いえいえ、ありがとうございます。素材が良かったんですよ。」

「まあまあ、そんな謙遜すんなって。
兄ちゃん若いのにいい仕事するなぁ。
また他にもいろいろお願いしていい?」

「もちろんいいですよ。またいつでも連絡ください。」

上機嫌になった会長に、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみました。

なぜそこまで聞かなかったかというと、
この会長もヤクザにしか見えなかったからです。

こういう人は、自分が気にかけていることや気に入っているものを褒めて、
持ち上げた状態で話をしないと、怒り出すか、
つっけんどんな感じで嫌悪感剥き出しにされる方が多いからです。

「ところで会長、一つ伺ってもいいですか?」

「ん?なんだ?」

「あのー、この会社ってなんの会社なんですか?
名前はどっかで聞いたことがあるんですけど、思い出せなくって」

「なんだ、そんなことか。ウチはAVだよAV。AVプロダクションだよ」

言われてみれば、たしかにAVの会社で【〇〇プロモーション】
って会社がありましたし、しかもこの会社はAV業界でも首位を争うくらい
日本最大級のAVプロダクションだったと思い出しました。

AV業界とは言え、まさか自分がそんな凄い会社の会長と
親しげに話をしているとは思いもしませんでした。

急に緊張してきてしまいましたが、
『AVでもなんでも、一つの業界で日本でトップを張れる人と
会話するチャンスなんて滅多にない』

と思って、ダメ元でもっと話をしてみたんです。

「【〇〇プロモーション】って確か業界最大手ですよね。
突然自分の目の前にあると、気が付かいないものですね。」

「人間そんなもんだよ。AV嬢だってたくさんいるし、
街を歩いてれば何人もすれ違うけど、
あえてそういう目で見ないと気が付かないもんなんだよ。」

「へぇーそんなもんですか。」
「人間つーのはさ、自分の都合がいいようにしか考えられないし、
目の前のものでも自分の都合のいいようにしか見えないもんなんだよ。

自分のいいように思い込みたいんだよね。」

「なるほどー、勉強になります。
それはそうと、ちなみに女の子ってどうやって集めてるんですか?」

「そんなの普通に雑誌とかに求人出してるだけだよ。」

「えっ?それで応募してくるんですか?」

「うん、来るよ、普通に。」

以前、東北の街でデリヘル嬢を集めるときには、
雑誌の広告なんて全然考えていなかったので、目からウロコな返答でした。

逆に、自分はインターネットを使った女の子の募集には少し自信があったので、
一つ会長に提案してみたのです。

「実は自分、1-2年前に〇〇って街で
デリヘルとレンタルルームやってたんですよ。」

「おーなんだ、同業者じゃん。
あの街、風俗業界だと活気があっていいよね。

でも裏を知ってるとヤクザだらけなんだよなー。

確かちょっと前にあの街結構荒れたって聞いたような気がしたけど、
知ってる?」

「あー、はい。まさにあの騒動の真っ只中というか、
ほぼ中心にいたのが私なんですよ、、、」

「へ~そうなんだ~」

「はい、そうなんです。『嘘だったら良かった』
と自分でも思いたいんですけど、お恥ずかしい話、そうなんですよ。

騙されたり利用されたり脅されたり、まあいろいろあって、
生きるために撤収して東京に戻ってきたって感じなんです。」

「そいつは大変だったね。
でもあの街でデリヘル・レンタルルームやってたってことは、
相当実力あるんだね。」

「どうですかね。でも自分でゼロからはじめて、
一応あの街では一番のデリヘル・レンタルルームにはなりました。

それが東京で通じるかどうかは分からないですけど、
それなりには経験を積めましたね。」

「へ~?それって普通にすごいね~。それこそどうやって女の子集めたの?」

「えーっと、ホームページを作ったりして、
インターネットを使って募集していました。

携帯電話の電話番号を載せていたので、
そこにお客さんからの注文に混じって、たまに女の子からの
「働かせてくれ」っていう電話が来て、会って採用って感じです。」

「そんなんで上手くいくんだ、すごいね。じゃあ結構勉強したんだね。」

「一通りは勉強しましたね。
インターネットとかホームページとかもそうですけど、
キャッチコピーとか、マーケティングに関することもいろいろ勉強しました。」

「いや、すごい、それ。ウチも教えて貰いたいわ。」

「会長さえ良ければ、私にも仕事手伝わせてもらえませんか?」

「私が今までやってきたことと会長の仕事と、
おそらくマッチすると思うんですよ。

ジャンルも似ているし、基本的には女の子を
いかに集めるかに掛かってると思うんで。」

「いや、ホントそうだよ。すごいね、若いのに。

でも、ちょっと相場とかわかんないから幾らくらいでやってくれるもんなの?」

「そうですね。インターネット関係でコンサルタントっていう形だと
結構なお金いただいちゃっているんですよ。

でも、自分以外では建築関連ばっかりやっていて
風俗関連のものでやったことないので、
上手く行くか正直わかんないんですよね。

だぶん大丈夫なんですけどまだ確証はないんで、
実際にやってみてもし上手く行ったらお金もらうってことでどうですか?」

「そんなんでいいの?
 だって上手く行かなかったらお金取りっ逸れちゃうわけでしょ?」

「まあ大丈夫ですよ。きっと上手く行くんで。」

インターネットのマーケティング戦略を知っていて、
webもイジれて、ダイレクト・レスポンス・マーケティングも知っていて、
キャッチコピーも勉強している人は、AVの風俗業界にいませんでした。

これには自信と楽しみがありました。

そんなひょんな成り行きで、
日本一のAVプロダクションに関わることが出来たのです。

どんな業界であろうとも、この会社が日本一の会社であることは
変わりありませんので、その会社に《ネットコンサルタント》
として関われるということは実績はもちろんのこと、
得られる経験もかなり大きいと思っていましたし、実際そうでした。

しかし温情深い会長は、
「もし上手く行かなかったら働き損になってしまうから」

と言って、個人的にたくさんの内装工事を頼んでくれて、
それだけでも結構稼がせて頂きました。

こうして金銭的な不安を解消してくれたお陰で、
《ネットコンサルタント》しての仕事に集中して没頭することができたのです。

とはいえ、風俗の中でも《AV業界》と分野を細分化してしまうと、
私も全く分からないですし、その分野でコンサルタントをするなら
業務全体を知らないといけません。

そこで会長に頼んでみたんです。

「ところで会長、私はインターネットも知ってるし、
ホームページも作れるし、マーケティングも詳しいし、
風俗も自分でやっていましたので自信はあるんですけど、
AV業界となると全く未知の世界なので、
まずは見習いをやらせてくれませんか?」

「そりゃもちろん、いやー益々気に入ったよ。
世の中、口だけコンサルタントなんて腐るほどいるし、
奴らは金を取るだけ取って実績残せないけど、
自分から見習いやらせてくれなんて、やっぱ出来る人間は違うわー」

と、手始めにAV嬢のマネージャー見習いから始めることになりました。


■■七星明の二面性誕生
ここから七星明が、《表の顔》と《裏の顔》
との二面性を持つことになるスタートでした。

週の半分の日中は、内装屋の中でも割のいい仕事だけを選んでやって、
残りの日や夜などはAVプロダクションの仕事をしていくという、
生活が始まったのです。

初めてみてビックリしたのが、
AV嬢の数に対して、マネージャーの数って圧倒的に少ないことです。

単独で作品を出せるくらい有名なAV嬢は、
何百人、何千人に一人くらいしかいませんので、
一人のマネージャーが担当するAV嬢はとても多いのです。

一回限りの担当の女優もいますし、
一度に4-5人を担当することもありました。

今までずっと恋愛経験の乏しかった私は、
女性の扱い方というものを全く知らなかったので、
何人かいるマネージャーの中でAV嬢から最悪に不人気でした。

いや、人気がないというのはウソで、本当は圧倒的に嫌われていたのです。

「えー、今日の担当、七星ぃー、またあいつかぁ、最悪!」

「なんであんたいるの?あとはもう私一人でいいから帰って!」

「あ、もしもし社長?今日のマネージャー、
今からでも変えてもらえない? 変えてもらえないなら、
撮影飛ばして違約金出てもいいから帰っていい?」

あからさまに私にワザと聞こえるように、
口々に文句を言われるくらい嫌われていたのです。

実は、女の子だけではなくて、基本的に私は嫌われ者なんです。

なにがそう他人から嫌われるのかというと、
余計な一言を言ってしまうヤツだったんです。

たとえば、風俗店へ行って、やることやった後に、
相手をしてくれた女の子に「なんでこんな風俗の仕事してるの?」
と聞いたりするような最低なヤツだったんです。

「あれ?ちょっと太ったでしょ!」
とか
「身体はいいんだけど、顔がイマイチなんだよな」
とか
「これであとちょっとおっぱいがあればいいだけど、残念だよね」
とか
「足首ないよねー」
とか。

男ならまだしも、女性に対しても平気でこういう心無いことを言っていたので、
本気で心底嫌われていたんです。

当たり前ですよね。
女性と接することが無い人生を送っていたので、分からなかったのです。

職人になってからもゲームばっかりやっていたのと、
風俗店をやっているときも自分の恋愛どころではありませんでしたから、
全然恋愛経験がなかったのです。

レベル1にも満たない、ダメなヤツでした。
人間は、10代20代の頃にちゃんと恋愛を重ねないと、
コミュニケーション能力が絶望的に低くなります。

恋愛から一番遠いところにいた私は、
異性との関係性を全く構築できませんでしたから、
もの凄く偏った、偏見ばかりの人間だったのです。

自分が上手くコミュニケーションを取れないからって、
相手に冷たくしたり、相手を卑下したりして強ぶっている一方で、

『うぉー本物のAV嬢だ!すげぇー』

と心の中で叫んでいるような糞ガキでしたから。

しかしどんなにAV嬢に嫌われていても、
自分からやりたいといったマネージャーですから、
そう簡単に諦めて辞めるわけにはいきません。

なにより、キチンとAV業界のことを知ることが目的でしたから、
頑張って続けました。

このときは『どうして自分がそんなにも嫌われるのか』
を想像すらもできなかった糞ガキでしたから、
ひたすらに頑張るしかありませんでした。

そのマネージャーの仕事の一つに、AV嬢の採用面接があります。

私はマネージャー見習いだったので、端っこにいて女の子の案内をしつつ、
会長や社長、マネージャーが面接をしているところを見学していたのですが、
その内容が途轍もなく浮世離れしていました。

簡単な自己紹介をさせた後からの質問が、かなりエグいのです。

「なんで応募してきたの?」から始まって
「初体験いつ?」
「今までで一番激しいプレイはどんなの?」
「最大の同時プレイ人数は?」
「イク?イカない?」
「どんな場所でやったことある?」
「今までで一番イヤだったプレイは?」
「病気貰ったことはある?今は病気ある?」
「堕ろしたことは?」
「中出しはOK?」
「ピルは飲んでる?」
「後ろは開発済み?」
「変わった性癖ってある?」
「入れ墨入ってる?」

もうキワドいを通り越した質問ばかりなのです。

たしかに制作側からすれば必要な内容ですが、
免疫のなかった私には刺激が強すぎました。

あまりにも現実離れし過ぎていたので、とても面白かったですが。

何人もの面接を繰り返し見ていて、気が付いたことがあります。

それは
『AV嬢って、お金に困ってやっている人がほとんどいない』
ということです。

風俗嬢とAV嬢では全く人種が違いました。

風俗嬢はお金に困ってやっている人がほとんどなのです。

じゃあ、AV嬢はどんな人がやっているのかというと、
セックスが好きな人や寂しい人、誰かに必要とされたい人、
心が傷ついている人がなっているのです。

最終的に7-8年間ほどアダルト業界に携わって、だいたい4-5000人くらいの
AV嬢を相手にしてきましたから、かなりたくさんのことが分かりました。

AV嬢のほとんどに共通している特徴として、
家庭環境が悪いということがあります。

風俗嬢の中にも家庭環境が悪い子もいましたけど、
AV嬢は90%以上がそうだったのです。

人間の心理にも係るところなんですけど、人間は
『自分だけにしか影響がない』
と思うと、なんでもできてしまうのです。

しかしそこに親や兄弟、家族、子供、友達とかの関係性が絡んでくると、
無茶できなくなるのです。

『もし自分がAV嬢になって世間に広まったとしたら』
と考えて、
『親が悲しむ』
というようなブレーキが掛かるので、親を尊敬していたり、
家庭環境が良好だったりするような人は、AV嬢にはならないのです。

同じような心理としては、入れ墨もそうです。

入れ墨をしている人の全員が全員そうではありませんが、
お母さんがお腹を痛めて産んでくれた自分の身体を
敢えて傷つけることによって、
間接的に親に対して復讐している人もいるのです。

なので、単にお金に困ってアダルトに流れてきてしまった人は、
『自分はこんなことをやりたくてやっているんじゃない』

という思いが強くて、
『いつかこの状況から抜け出して、普通の平凡な生活を送りたい』
と思っているから、顔出ししない風俗嬢になっているのです。

ちなみに、セックスが好きな娘は基本的には風俗嬢にはなりません。

セックスが好きな娘は、自分が気持ちいいし、
気持ちよくなりたいからセックスをするのであって、
相手を積極的に気持ちよくさせようと思っている訳ではないからです。

ですから単純にセックスが好きな娘は、絶対に風俗嬢はやらないのです。

風俗嬢とAV嬢とのこれらの認識の違いは、天地の差があるので、
同じアダルト業界ではありますけど、全く別の業種だと思ったほうがいいです。

そしてなにより、心が病んでいる、普通に生活してきた人間からすると
想像もつかないようなトラウマを抱えている娘が、
びっくりするくらいたくさんいることに気付かされました。

私が一番衝撃を受けたのは、とあるAV制作メーカーへ女の子を連れて行って、
新作制作のための面接を担当プロデューサーと行っているときでした。

「どもども、はじめまして。かわいいねぇ
。早速だけど今まで複数の大人数でやったなかで、
最大何人が同時にやった人数?」

「んーっと、6人ですねぇー」

初っ端から飛ばした質問と、斜め上を行く答えが飛び交っていました。

「なるほどなるほど、ちなみに初体験っていつ?」

「えーっと、小学校3年生のときでーす」

業界では挨拶のようになっているこの質問から、このあとまさか、
あんな展開の話になるとは思いもしませんでした。

「それまたエラく早いねぇ」

普通に考えても異常に早い初体験ですけど、
業界の面接では平然としかも淡々と質問が続いていきます。

「その小学校3年生の初体験のときの相手ってどんな人?」

「あ、義理のお義父さんですぅー」

「そうなんだ。それ、どんなシチュエーションだったの?」

「あぁ、そのー、さっき言った最大人数の6人っていうのが初体験のときなんですよぉー」

「んーと、それってお義父さんとその知り合いだか友達だかが集まって、
全部で6人の大人の男に囲まれてやったのが初体験で、
今までで一番大人数ってこと?」

「あ、そうですそうですぅ。お母さんが仕事でいないときに、
お義父さんが友達をたくさん連れてきて、
みんなで私のこと輪姦したんですよぉ。」

鬼畜の所業ですが、本人もプロデューサーたちも
淡々と会話を進めるという異様な光景が続きました。

小学3年生の初体験を皮切りに、お義父さんとキモオヤジたちとの
狂宴は日を追う毎に頻度も増していって繰り返され、
中学校一年生になる頃には既にパパが5人いたのです。

中学一年生の時点で、もう彼女の《性》
というモノそのものが崩壊していたのでしょう。

それぞれのパパごとに別々の携帯電話を持たされていたので、
合計5個の携帯電話を持ち歩いていて大変でしたけど、
みんなお手当をたくさんくれるからと、
月に2-300万円くらい稼いでいたと言うのです。

彼女は面接のとき19歳くらいでしたけど、
次に出てきたセリフが私の心を奈落の底に突き落としました。

「中1のときが一番稼いでいて、少ないときでも毎月200万、
多いときで300 万くらいだったんだけど、
そっから歳を取れば取るほどどんどん稼げなくなっちゃったんだよねぇー。

今までで今現在が一番稼げない。みんな若い娘が好きなんだよねぇー」

かなり整った顔立ちで、スタイルも抜群の娘が、
人生を悟ったように遠い目をしながら話すのです。

一般的な感覚からすれば、大学に入学する歳ですから

『さあ、これから人生を楽しむぞ!』

と期待に満ち溢れた若々しい英気が漲っている一方で、
世の中の闇の側面で生きてきた彼女からは、
もう堕ちていく未来しか感じられないのです。

自分よりも10歳以上年下の女の子が、いったいどんな人生を送ってきたのか、
その一片に触れただけでなんとも鬱々とした気持ちになりました。

こんな壮絶な人生を送ってきた女の子がいるのと同時に、また別の意味で
《性》が崩壊している女の子もいました。

異常なまでにセックスに取り憑かれた娘です。

「こんにちは、どうして応募してきたの?」
「えー、そんなのHが大好きだからに決まってんじゃーん」

「そうなんだ。どれくらい好きなの?」
「んーっと、もうずっとヤッてたいくらい大好き」

「もしHしちゃダメってなったらどうする?」
「えっ!そんなのムリムリ!あり得ない。頭おかしくなっちゃう!」

『いやいや、もう既に充分頭おかしいだろ』と思いましたが。
「普段はどれくらいの頻度でHしてるの?」

「だいたい1日1回は絶対にヤッてるかな。
でもほら、彼氏も来れないときあるし、
それ以外にも相手が見つからないときもあるから、
そういう日はできないかなー」

「彼氏以外の相手って、どういう人?」
「んーっと、昔の彼氏とか、セフレとか、
 あとはテレクラとか出会い系の人もいるかなー」

「そうなんだ、相手が見つからないときってどうしてるの?
 溜まっちゃわないの?」

「大丈夫だよー、オナニー大好きだし。」

「ふーん、どれくらいオナニーしてるの?」

「最低でも一日10回はしてますよぉー」

「え?マジ?10回もしてんの!」

回数だけでも驚きですが、
そのタイミングやシチュエーションがまた、
想像の斜め上を行っていました。

「1日10回って、どういうシチュエーションでヤッてんの?」

「うーんとねぇ、ベッドの上に宝箱が置いてあるんだけど、、、」

「ん?宝箱?」

「あぁ、えっと、そかそか、えっとね、
バイブとかローターとか電動マッサージ機とか、
オナニーグッズがたくさん入ってる箱を宝箱って呼んでるんだけど、
とりあえず朝起きたら目覚まし止めた手で宝箱を開けて一回するでしょ、
で、朝ごはん食べたらトイレに行ってもう一回するでしょ、
で、会社行く支度して、、、」

「ちょっと待ってちょっと待って、今、会社って言った?」

「あ、そうそう会社。普段はこれでも普通にOLやってるからねー」

「そうなんだ、現役OLなんだ、すごいね」

「偉いでしょ」

「うん、偉い偉い。で、その後は?」

「でぇ、電車に乗って会社のとこの駅についたら
またトイレに行ってヤッて、出勤して10時くらいの小休憩でまたヤッて、
お昼ごはんを食べてもう一回ヤッて、
とか、会社でだいたい4-5回くらいヤッて、
アフターで彼氏と会うとき とかは、
会ってすぐ挿れれるように直前にトイレに行って
一回ヤッて濡らしておいたりしますよぉー」

「すごいね、オナニーな毎日だねぇ」
AV嬢の面接ですから、
普通の感覚と違うのは当たり前といえば当たり前ですけど、
それでも何百人と会っていると、特に尋常ではない経験を積んできた娘や、
想像もできないような生活を送っている娘にあたってしまうのです。

今までの自分とは、あまりにも世界が違って混乱するだけならいいのですけど、
そういった娘も普段は周りの人たちに紛れて普通に生活を送っている、
私たちが何気なく街を歩いてすれ違っている名前も知らない人も、
そんな人生を送っている可能性があるし、
電車で隣に座っている真面目そうな隣のおっさんが
性的虐待の加害者かもしれないとか、いろいろなことを考え出してきたら、
どんどんチンプンカンプンになってきてしまって、
『あー、ヤバい、このまま続けてたら精神崩壊しそうだ、、』
と病んできてしまったので、AV嬢のマネージャーは
最終的に2週間で辞めさせて貰いました。

とりあず業界の事はわかってので、十分との判断と、
これ以上は無理って判断です。

とはいえ、AVプロダクションのネットコンサルは、
そのあとも4年ぐらいは続けてました。すごく良い経験になりましたね。


■■二人目
マネージャーを辞めて少しした頃、《表の顔》である内装屋の方で、
また興味を惹かれる一通のメールで仕事依頼が来たんです。

【クロス壁紙張替え職人.com】のアクセスがかなり上がってきていたので、
電話以外でも、FAXやメールで仕事の依頼も来ていました。

たくさんの仕事依頼を受けていると、メールだったら文面を読んだ瞬間に、
『あ、こいつ金持ちだな』と解るようになりました。

あるメールをみて、これは金持ちかの連絡と感じて、
すぐに返信して仕事の約束を取り付けたました。

すぐに指定された住所のマンションへ行き、
「内装屋の七星です。」

「あぁ、はいはい。ちょっと待ってー」

と扉の前で待っていて、ガチャリと開いた瞬間、
「あ、、、またヤッちまった、、、これ、ヤクザ事務所だ、、、」

いわゆる裏稼業に手を染めている人たちって、
独特の空気感を持っているのです。

この人自体、明らかにおかしいとか、見た目がヤバいとか、
そういう単純なものではなくて、正確に『ここが普通の人と違います』
というのはないのです。

しかし雰囲気だったり、部屋の中に漂うどことなくしっとりした空気だったり、
第六感的なところが『コイツは普通じゃない』
って自分に訴えかけてくる感覚があるのです。

私より3歳くらい年上の彼は、気さくに
「どうぞどうぞ、中入ってぇー」

と言ってくれて、あとを付いていくと一つの大きな部屋に案内されました。

この部屋も、入っただけで異様な雰囲気を醸し出していました。

20畳くらいはあるかと思えるかなり大きな部屋で、
薄暗く、ベッドが置 いてあったり、ソファがあったり、
ところどころに布団が敷いてあったりと、
まるで統一感のないその部屋からは、
生活感が微塵も感じられませんでした。

「今日お願いしたいのは、
この部屋の壁紙を全部張り替えて欲しいんだよね。
なんか飽きてきちゃったから、気分転換に。」

「かしこまりました!この部屋、かなり広いので、
全部となると結構な金額になっちゃいますけどいいですか?」

「うん、大丈夫大丈夫。いくらでもいいよ。
あの本物っぽい壁紙使っていい感じにキレイに仕上げてくれればお任せで、
いくらでもいいからお願いします。」

思った通り、気前がいい依頼主でしたので、より一層『この人は裏稼業』
という疑惑が大きくなっていきました。

しかし、この部屋の用途が全然想像付かなかったので、
お任せと言われてもどうしたものかと思い、依頼主に聞いたのです。

「おまかせは有り難いんですけど、
ちょっと自分ではこの部屋の使い方というか、
普段をイメージできないのでどうしたものかって感じなんです。

よかったらこの部屋って、いつもどういう風に使っているのか
教えてもらえます か?」

「あぁ、そっかそっか。たしかにこんな部屋、分かんないよね。
僕、見慣れちゃってるからなんとも思わなかったけど、
言われてみればたしかにそうだ。うん、この部屋ね、乱交部屋。」

「、、、へ?、、、んーー、、、、へ??、、、乱交部屋???」

「うん、そう。乱交部屋。」

「えっ?乱交って、あの乱交?乱交部屋?えっ?ここですか?へっ?」

「まあ、そうなるよね。ここで乱交する乱交部屋。
複数の男女が裸でアレする乱交の乱交部屋。で、
僕はその部屋をやってるいわゆる乱交屋さん」

「えぇーーー!マジっすか!」

世の中いろいろな仕事があるものですが、
乱交を主催する乱交屋さんなるものが存在して、
しかも乱交するためだけの乱交部屋があること自体にも驚きを隠せませんでした。

乱交屋さんがいったいどういったことをしているかと言うと、
今で言うマッチングビジネスの一種なのです。

インターネット上で輪姦されたい女性を募集して、
同時に輪姦したい男性も募集します。

そして一定数に達したら、日程を決めて、
男女ともにこの部屋へ来てもらって実際に乱交をしてもらって、
それを映像としていろんな角度から撮るのです。

部屋にはいくつかの固定カメラもありましたし、
ハンディのビデオカメラもありました。

そうして撮影した映像をモザイク処理とかして編集して、
専用サイトで映像配信をするんですね。

この専用サイトは毎月5,000円の月額会員制なんですけど、
聞けば結構な会員数を抱えていて、相当儲かってました。

『そんなに需要があるのか』とびっくりしたのを覚えています。

みんな現実の世の中にウンザリしていて、
刺激のない毎日に退屈して、バーチャルの世界に非日常を求めているんです。

それを《乱交》という強烈なイメージでビジネス化しているのは、
凄い才覚があるのだと思いました。

この乱交屋さんこそが、私の人生を大きく動かした。

もう一人のお客さんなのです。

すでにAVプロダクションのコンサルも同時にやっている時期でしたから、
この大きな部屋の使用用途がはっきりして、
比較的スムーズに部屋のイメージができたので、
壁紙カタログを広げて提案してみると

「お!いいですねぇー。部屋のイメージと合ってる合ってる。それで行きましょう!」
とトントン拍子に決まって、早速仕事を引き受けました。

仕事量としては、5日ほどです。そして工事が始まって3日目の事、

「内装屋さん、ちょっと出掛けるんでこの後お願いしてもいいですか?
何時に帰ってこれるか分からないので、鍵預けておきますから、
終わったら鍵を掛けてポストに入れておいてもらうだけでいいんですよ。」

「はい解りました・・・」 

そこで、私は疑問に思いました。

こんな変わった人は、普段、どこに行くのだろうと・・・・

この疑問を声にしました。

「ちなみにどちらへ出掛けられるんですかー?」

その答えは、想定を遥かに超える回答でした。

「えっと・・催眠術師の飲み会に行ってきます。」

「そうですか。。。へっ???今なんて?」

「催眠術の飲み会です。」

「へっ??どこですって?」

「いや、催眠術のアダルト恋愛塾の飲み会。」

「えっ???どっ、、、すみません、もう一回聞い、、、あの、なんですか?」

「だーかーらー、催眠術の飲み会へ行ってきます。」

これまた現実感がなさすぎて、3回も聞き直してしまいました。

そして改めて聞いて、一番始めに頭に浮かんだことは
『この人からキチンとお金貰えるかな?』ということでした。

お客さんが、あまりにもバカでアホな事を言うと、
通常の心理では相手を信用できなくなり、
騙されると感じることが、この時わかりました。とは言え、

この頃までは私自身、《YESかNO》、
《0と1》をこよなく愛する男だったので、
オカルトの類や催眠術とかの曖昧なものって、
この世には絶対に存在していなと思っていましたし、
こういうことを言う人間って絶対にウソをついていると思っていたのです。

でも、この乱交屋さんが会って間もない私、
単なる壁紙を貼るために呼んだ内装屋の私にわざわざウソをつく必要もないですから、
ちょっと聞いてみました。

「失礼ですけど、私そういうの信じていないっていうか、
信じられないっていうか、絶対にウソだと思ってきているんですけど、
催眠術って本当にできるんですか?」

「あー、まあ、そうですよね。私もそう思っていました。

一応私、この催眠術の飲み会の主催者からちょっとだけ
教わったことがあるんですけど、本物だと思いますよ。

まあ人それぞれなんで、信じる信じないはどっちでもいいんじゃないですかね。」
と淡々と言われたのです。

私の中のアンテナがビビッと反応しました。
「あのーすみません!今日の仕事、
一旦ここまでにして明日また来てキチンとやりますんで、
今日は終わりにしてその飲み会、ご一緒させてもらうことってできますか?」

「えっ?あぁ、それはいいけど、さすがにその格好だとちょっとね。。」

「そうですよね、作業服だし、、、そうだ、すみません、
シャワーお借りしてもいいですか?あと、服も貸してください!」

「いいよいいよ。なんか面白いね、七星くんって。」

この部屋は乱交部屋ですから、シャワーとかのアメニティは完備されていましたし、
乱交屋さんは私と同年代で背格好も似ていたので、
ザーッとシャワーを浴びてジーパンとTシャツだけ貸してもらって、
催眠術の飲み会へ連れて行ってもらったのです。

タクシーで30分ぐらいのある駅の近くのビルの一室に入ると、
もう盛り上がっている最中でした。

「すみません、遅れましたー」
「おー乱交屋さん、久し振りぃー。
もう先に始めちゃってるよ。あれ、そっちの人はどなた?」

「あぁ、こっちの人は内装屋さんの七星くん。
今日ウチの部屋の壁紙を貼り替えて貰ってたんだけど、
話してたら催眠術に興味あるみたいで連れてきちゃった。」
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日本の社会・会社は、歪んでます [過去の経験談]

山田社長メルマガシェアです。

会社の為に、一生懸命奉仕してたら・・・・

ちょっと悲しいお話が記載されてます。

今回の思い出話は、過去にも5、6回
このブログで出てきているかと思います。

それではどうぞ!!!
_____________________
おはようございます、山田です。

お盆、関西では昨日、終わりました。

私は、今年もある女性の冥福を祈りました。

今日は、私の胸にぽっかりと空いた穴について話します。

とても薄幸な女性でした。

昨日、梅田の北新地駅の近くの飯屋。

昼飯を食べるために入りました。

「変わってないなあ。相変わらず、ボロやんけ(笑)」
「Oさんともよく来たなあ。」

優しかったひとの想い出が蘇る。

Oさん、私の恩人。

私にパソコンをてほどきしてくれた師匠。

はじめて会ったのは、1997年。

私は、「太平洋プランニング株式会社」に入社したのです。

⇒いまは、解散してない。

三井住友銀行の子会社、ゴルフ場管理会社です。

私は、一応、「課長」という名目で経理部門に入りました。

Oさんは、27歳の可愛い女子社員でした。

しかし、よく仕事ができました。

そして、10人ほどいた女子経理部員のボスでした。
(たくさんのゴルフ場会社があったので、グループでした。)

パソコンの操作も詳しかったし、
経理の仕事もよくできました。

私よりも上でした。

とても真面目な良い娘さんでしたが、気が強かったです。

「Oさんは、平社員だけど、仕事がすごくできる。

上役でも『尊敬できない人、仕事ができない人』
のいうことは一切、聞かない。

山田くん、気をつけなさい。」

と最初の出社日に言われましたっけ。

私は、課長として入社したもののパソコンは苦手。

というか、それまでの人生で触ったこともない。

パソコンが恐かったのです。

しかし、三井住友銀行から来ている人に
「3ヶ月以内にパソコンを使えるようにならない場合、
クビです。」と宣言されました。

私は、一計を案じました。
「Oさんをてなずけよう。」(笑)。

それで、私はOさんに目をつけて、
甘いもの(饅頭、ケーキとか)をあげて、
仲良くなり、パソコンの使用法を教えてもらいました。

はい、山田くん、こういうのは得意(笑)。

彼女は、私のことが気に入ったのか、
とても親切に教えてくれました。

それだけでなく、直属の上司のUさんと私だけには、
特別の敬意を持って、接してくれたのです。

私、超短期にパソコンをマスターしました。

怖かったパソコンが愛用機に変わり、
高速で学習し始めました。

今、考えると私の人生の「奇跡の逆転劇」
がはじまったのです。

その後、私の会社で内部崩潰があり、
私も彼女も神戸に移りました。

私は、神戸のゴルフ場の現場と経理、
さらにインターネットの管理。

彼女は、親会社の経理。

次の年の10月、S銀行から突然の指令。

「中間決算をやることにした。至急、提出せよ。」

私は、30秒で「不可能」と判断して、
適当に作文して中間決算を提出しました。

所要時間30分(笑)。

「アホか。無理やんけ。」

私は、既にS銀行の本部のエリートたちと仕事で接触しており、
彼らの能力を見切ってました。

「銀行のエリートでも能力は、たいしたことないのう。
アホやんけ。」くらいに思ってました。

それよりも一緒にいた旧イトマンの商社マンの方が力はありました。

銀行員の方は、完全にバカにしていました(笑)

「中間決算?気まぐれで言ってきただけ。大勢に影響ないやんけ。」

彼ら程度の知能で考えることなど、すらすらと読めました。

「適当に作文しても重大なエラーにはならない。」

しかし、Oさんは違いました。

まじめな彼女は、根性でやり遂げました。

毎晩、夜の10時頃まで残業。

家にも持ち帰り、夜中の2時、3時まで睡眠を削って仕事。

これが2ヶ月か3ヶ月。

偉いです。

Oさんは、まじめで頑張りやさんなんです。

ついでに山田豊治さんは、テキトー、エエ加減です。。

数ヶ月後に私の「作文」はバレました。

当然、私は、ものすごく怒られました。

いや、私だけでなく、
ゴルフ場の支配人も一緒に東京に謝りに行きました。

新幹線の中で、元気のない支配人に
「命まで取られないですよ。堂々と行きましょう。」
と慰めたのですが、

支配人
「アホか、山田。お前のおかげで、わしまで怒られるのやあ。
お前は、どんな神経をしとるのやあ。」
とひどい剣幕でした(笑)。

東京では、社長にボロボロに怒られました。

支配人は、平身低頭です。

私は、「俺は悪くない。無理を言ってくる方が悪い。」
と思っていたので、終始、堂々としてました。

社長もそれに気がつき、「昼飯を食いに行こうか。」

昼飯の最中、
社長
「お前のおかげで、銀行にボロボロに怒られたのや。
それなのに、お前は、、、、、、、、、、。
屁とも思ってないなあ。」

その後の展開。

しかし、But、、、、、、、、。

Oさんは、過酷な勤務が原因で、
精神に変調をきたし、休職しました。

休職⇒退職に追い込まれました。

Oさんの親はカンカンに怒り、医師の診断書をもらい、
会社と対決姿勢です。

会社はビビってました。

結局、なんとか収まったのですが、
彼女の人生は暗くなっていきます。

このときを境に彼女の身体、
精神はボロボロになっていきました。

私?

私には、その後、いっさいのおとがめもありませんでした。

この件で嫌みを言われることもなく、
むしろ、気をつかってもらうようになりました。

というか、怖がらているというか、
「一目置かれている」感じ(笑)。

私の予想通り、たいした意味もなかったのです。

S銀行たいしたことない。

銀行はOさんの事件で、ビビってしまったのです。

こういう問題が明るみにでると銀行の責任問題になるので、
ひたすらビビってました。

私は、胸を張って、会社に行ってました。

その後、銀行のOBの方に
「銀行の人たち、みんな、私のこと、怒っているだろうなあ?」
と聞くと。

笑顔で「なーに。反対やでえ。」

「みんな、『たいした男や!』と言っているよう。

『あの肝の据え方は真似できん。』と褒めてる。」

世の中、こんなもんです。

腹を決められる方が強い!

Oさんは、なんとか体調を持ち直して、
いろいろな会社に履歴書をだしました。

しかし、日本の会社、
30歳を過ぎると良い職場にははいりにくいです。

さらに正社員の壁が厚くなってきました。

その後、彼女は「派遣」で働くことになりました。

経理としてはすごく力のある娘さんでした。

あ、私よりも上(笑)。

しかし、日本の社会はキツイです。

一度、退職するともうダメ。

ここ、ほんとに怒りがこみ上げてきます。

どんなに実力があっても一度でも会社を辞めると
それ以下の会社にしか行けない。

実力主義じゃないのです。

年齢も30歳を超えると正規の社員は難しくなる。

35歳、40歳になると非正規にしかなれない。

そして、暗い老後におびえながら、日々をすごすしかない。

こんな社会、おかしい。

Oさんは、人目を引くほど可愛い容姿だったのですが、
なかなか彼氏もできなかったようです。

20歳代の頃は、彼氏がいたのですけどね。

その後、恋愛もなかったのですね。

⇒冗談半分で(本音でかな?)、
「私の理想の男性は山田さん」とか言ってましたっけ。

本気だったといまは思います。

そして、例の事件以後、体調も崩れがちとなり、
最後には癌になり、45歳で天国に。

「Oさんの人生はなんやったんやろう?」

生真面目に働くだけ働いて、
「Oさん、何が楽しみあったんやろう?」

ただ、一生懸命に働くだけ、なんにも報われなかった人生。

たまに連絡をとり、近況を伝えると。

Oさん
「山田さん、外国に好きなときに好きなように行けていいなあ。
私もヨーロッパとかアジアの国々に行ってみたい。」

私「行ったらエエやん。」

Oさん、笑いながら、
「そんなん、お金もないしー。

『貧乏暇なし』なんよ。

でも山田さんのように人生を思い切り生きてみたいなあ。

話を聞いているだけで、胸がすかっとする。」
と言ってました。

あれ、本心だったのですね。

可愛い容姿だったのに結婚もせず、
だから、子供を産むこともなく、
暖かい家庭を持つこともなく、死んでいったOさん。

無念だったろうなあ。

私は、いつも彼女にパソコンを
教えてもらった恩を感謝していました。

⇒彼女は優しい性格で、たくさんの生徒!
 を社内でも持ってました。

教えるのが好きで向いていたのですね。

私が、独立した頃、こんな話をした記憶があります。


「はじめて、私に会ったときはどう思った?」

Oさん
「風采のあがらない中年のおじさん(笑)。

『パソコンも扱えないし、かわいそうやなあ。
ちゃんとマスターできるのかなあ?』
正直、こう思ったわ。」


「やかましい(笑)。
饅頭とかケーキとかやったやんかあ。」

Oさん
「ごちそうさまでした。山田さんには甘いもので
 餌付けされたもんねえ。」

Oさん
「でも、第一印象は良くなかったけど、毎日会っていたら、
山田さんのこと、尊敬するようになったんよ。」


「サンキュウ。Oさんにパソコンを教えてもらわなかったら、
俺の人生、真っ暗闇やった。ありがとう。」

Oさん
「そんな。1年も経たない間にパソコンでは、
あっという間に追い抜かれてしまったもんなあ。

私、ほんまにびっくりしたわあ。

たくさんの人に教えたけど、
山田さんみたいな人はいなかった。」


「良い生徒あったやろ?」

Oさん
「『One and Only』最高の生徒でしたよ。

第一印象はよくなかったけど、
どんどん尊敬の気持ちが湧いてきたわ。

『ここまでやるのかあ。
世の中には、こんなすごい人もおるのやなあ。』
とか思ったわ。

『こいつ、かっこいい!』と思って。
努力家だったものねえ。」



「『こいつ』って(笑)」

彼女は、なんのために生まれてきたのかなあ?

そう思います。

彼女の死後、お母さんと話しました。

「娘は、いつも山田さんの話をしていましたよ。

『インターネットで大成功しやはったんよ。』

『人生のどん底から這い上がりはったんよ。』

『私、雇ってくれへんかなあ。』と言ってました。」

そうか。

俺に言ってくれてたら、良かったのに。

彼女なら、1から教えたら稼げたのに。

Oさん、生まれ変わったら、起業して、
誰にも縛られずに自由に生きてほしい。

薄情な日本の会社に縛られないように。

そして、結婚して、丈夫な子を産んでほしい。

心から、そう思う。



山〇〇治


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「我が青春の遺産→惨めな経験」 [過去の経験談]

山田社長メルマガシェアです。

今回の話、非常に面白い・・・
と思ってしまい、一気に読んでしまいました!!

”起業”に対する勘違いな成功イメージを持った心意気・・・・

考えさせられました。

それではどうぞ!!!
_____________________________

おはようございます、山田です。

くそ暑いですねえ。
学校で、屋外で朝礼とかやっていて、
倒れる生徒続出らしいですねえ。

昨日の朝も阪急電車に乗り込み、
そんなことをぼーっと考えてました。

「ああ、電車内は涼しいなあ。天国!」

思わず笑顔が溢れる俺。

席に座り、目の前の電車ポスターを見ると、
屋外で元気にダンスしている女の子が目に飛び込んできました。

「自分は、きっと想像以上だ。」

ポカリスェット、ダンスの女の子

(「ポカリガチダンスFES」篇)

http://www.otsuka.co.jp/adv/poc/graphic201807_01.html

私の心の声
「暑いのにご苦労さん。うん?うん?この女の子、マリちゃん?」

いや、違いますね。

この女の子は、八木莉可子さん!

現役の女子高校生です。

私の心の声
「でも、マリちゃん(仮名)に似ているなあ、そっくりだ。」

私の心の声
「あれ、そう言えば、今日は、西宮北口で、
クライアントと会う。懐かしいなあ。」

そんなことを考えながら、西宮北口の南東口に降りた私。

「居酒屋 ふじや 民芸店」の前を通ります。

今もやっている!懐かしい!

マリちゃんとの出会いは、30年くらい前の夏、
私の通っていたエグザス西宮のジムエリアに併設されたサウナ室。

水着をきて、男女一緒に入るのです。

当時は、今と違い、メンバーの7割が若い女性でした。

(今は90パーセントくらいは60歳代、70歳代。
日本の高齢化を感じます。)

それで、私は、悪友どもと一緒に
サウナでナンパに励んでいたのですな。

その日、多分、土曜日の夕方、
O田さんと一緒にサウナに入ってました。

突然、光が差したと思うと。
まばゆいばかりの美女がいました!

想像してみてください、
ポカリのCMの女の子と同じ美貌の女性が、入ってきたのです。

私もO田さんもファイト満々となりましたあ!

超ラッキーなことにその女性は、
私の方をチラチラと見るのです。

そして、話しかけてきたのです。

超美人のマリちゃん
「私、仕事でハワイによく行きのですけど。
これほどの肉体美の男性、ハワイでも滅多に見かけない。
すごい!」

私、ちょうどボディビルのミスター関西を目指して、調整中。

筋肉もでかかったし、体脂肪も(今とは違い)4パーセントくらい。

それが、きっかけで、私、マリちゃん、O田さんの3人で、
近くの「居酒屋 ふじや 民芸店」になだれ込んだのです。

その日も暑く、3人でビールやチューハイをたらふく飲みました。

まあ、暑いと言っても今のような異常気象ではなく、
普通に暑いだけでしたけど。

当時の3人のプロフィール。

超美人のマリちゃん:当時で、26歳か27歳、元モデル。

結婚していて、旦那は、サーフボードの工場を経営。

元モデルだけあって、かっこええ。私服姿もバッチリ。

居酒屋に入ると店にいた男でも全員が見とれてましたよ!

O田さん:すらっとした長身、爽やかなイケメン。

当時、33歳。

創世記のローソンにいたことがあり、起業願望が強い。

「サラリーマンなんて、男子一生の仕事じゃない。」が口癖。

私:当時、31歳。叔父の会計事務所に勤務。

顧問先が少なく、全く儲からない会計事務所。

社会保険なし、賞与なし、安月給。

でも、経歴が経歴だったので、
「我慢するしかないか」という状態。

警察学校1ヶ月で辞めて。
損害保険は6ヶ月でクビ、生命保険もクビ、新聞配達員が長く、
教員採用試験も受からず、やっと経理で入ったハンバーガー会社でも「
こいつ、駄目」ということでハンバーガー店員に、、、、、、。

3人で一緒に飲み始めたのですが、
超美女のマリちゃん、なんと最初は、私に興味があったようです。

「山田さん、チャールズ・ブロンソンのタイプの男やね。
日本人には珍しい。」

「ブロンソンは、筋肉モリモリ、顔はジャガイモみたいでえ(笑)。
醜男なんだけど、雰囲気があるでしょう?
健康で逞しい身体、素朴な野性味。

ピンチになった時は、『頼り甲斐のある逞しさ』。」

かっこいいブロンソンのCM、マンダム。

https://youtu.be/WHeGZXhHBYw

「山田さん、雰囲気ある。持っている。」

うう、しかし。当時の私の状況を知ると
マリちゃんは、私に興味を無くしたようです。

マリちゃんは、結婚していたのですが、
旦那とうまくいってなかったようです。

「1日にチキンラーメン2杯だけ、
そんな苦労に耐えて、会社を一緒に大きくしたのに。
浮気しやがって。」

もう一人、O田さん。

「サラリーマンなんて、男子一生の仕事じゃない。」

「僕は、もうすぐ、会社を辞める。独立する。
そして、自分の会社を大きく育て上げる!」

でっかい夢を持っていたのですね。
目を輝かせながら、でっかい夢を語るのです!

O田さんは、長身の爽やかなイケメン。

その彼が、起業の夢を熱く語るのです。

マリちゃんも
「旦那と別れて、自分で起業」の夢を持っていたので、
2人は意気投合。

2人が同時に
「山田くんは、独立とか起業は考えないの?」


「いやあ、そんな大それたこと、考えたこともない。
失敗したら、怖いじゃないですかあ?」

マリちゃん
「ふーん。それで、安月給、賞与なし、社会保険なし
の会計事務所にへばりつくの?」


「それしかないからなあ。」

マリちゃん
「アメリカでは、山田さんみたいな人のことを
『チキン』と呼ぶのよ!」


「チキン?鶏?」

マリちゃん
「スラングなの。意味は『臆病者』『腰抜け』。」


「、、、、、、、、、、、、、、、」


その後、私を置いてけぼりにして、2人は夢を語り合ってました。

とても惨めでした。

3人で、しこたま飲んで、マリちゃんは、
アストンマーチンに乗り、颯爽と帰って行きました。

O田さんも一緒!

当時は、「酒飲み運転」の取り締まりが、
今ほどきつくなかったので、
居酒屋で飲んで、車で帰るのは、珍しくなかった。

→危ないし、もちろん、法律違反。

どう思います?

私、惨めな負け犬でしょう(泣)。

はい、いつもそうでした。

知り合った女性、最初は、みんな、私に強い興味を持つのです。

他にいないタイプだから。

でもね、「甲斐性なし、貧乏、あかんたれ」
とわかると全員が興味をなくすのです。

「お金は大事だよー!」

しかし、でも、But、30年後。

私は、夢のような人生になってました。

年収どころか、月収で1000万円を超える月もあるし、
完全な自由、世界中に行きました。

働く時間も1日30分から4時間以内。

つまり、私は、成功したのです!

マリちゃんの直感は正しかった。

「山田さん、チャールズ・ブロンソンのタイプの男やね。
日本人には珍しい。」

「ブロンソンは、筋肉モリモリ、顔はジャガイモみたいでえ(笑)。
醜男なんだけど、雰囲気があるでしょう?

健康で逞しい身体、素朴な野性味。

ピンチになった時は、『頼り甲斐のある逞しさ』。」

「山田さん、持っている。」

O田さん。

その後、一度、起業するも失敗。

1年でサラリーマンに戻る。

会社を転々として、最後は、社会保険もない会社の事務員。

偶然に再会してから、私に、
「山田くん、俺のアイディア商品をインターネットで売ってくれ!」
と変なものばかりを私に押し付けようとします。

「女性の鼻が高くなるプチ整形クリップ」とか(笑)

マリちゃん。いろいろとあり、離婚。

そして、起業するも倒産。夜逃げしてしまった。

どこで何をしているやら。

人生、皮肉なもので、
「起業」とか全く考えてなかった私が、
「起業」して成功!

「起業」して成功するつもりだったカッコ良い2人は、

「起業」できずに惨めな人生。

わからないものです。

3時間後、クライアントへのアドバイスを終えて、
私は、「居酒屋 ふじや 民芸店」を横目に見ながら、
阪急電車に乗り込みました。

「この街には『我が青春の遺産』が一杯やな。」

人生、若い時の状況ではわからない。

コツコツと努力する気があれば、
やり抜くだけの勇気があれば、大逆転できる!

「我が青春の遺産→惨めな経験」でした。


山〇豊〇


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Draw My Life [過去の経験談]

山田教授メルマガシェアです。

色々な人生生き方がある?

そんな感じの内容が記載されてました。

それではどうぞ!!
_______________________
おはようございます、山田です。

充実した生活が続いております。

それで、筋肉トレーニングのコピー
を書くのに集中してますので。

過去の評判のよかったメルマガに
加筆訂正して送ります。

私の半生!

幼少期:
田舎で育ったので、自然児でした。

塾とか家庭教師とかは縁がなかったのです。

幼稚園時代も含めて、山で遊んでました。

夏は川で泳いでいました。

一度、探検と称して、崖を歩いていたら、
落ちてしまいました。

今の子供からは考えられないような
野性的な日々でした。

小学校時代:
最初は、学校は嫌いでした。

成績は、オール2(笑)

なぜ、学校に行かないといけないのか?
意味が分からなかったのです。

ずっと坐っているのが苦手でした。

小学校2年生でさらに試練が襲います。

転校です。

それも生徒の9割が漁師の子供(気が荒い)
という町に転校です。

小学校2年生で「苛め」
の標的になりました。

「夜回り」という子供が「火の用心」
と叫びながら、廻る義務がありました。

殴る、蹴るの暴行を受けました。

なんとか周囲にとけ込み、
人間として生きることができるようになりました。

しかし、4年生になると
私は復讐を開始しました。

一人ずつ呼び出して、
半殺しにしました。

1対1なら全勝でした(笑)。

5年生になり、元の小学校に戻りました。

しかし、「喧嘩エレジィー」
の時代の影響で、手が早かったです。

小学校6年生で筋トレに目覚めました。

「ブルワーカー」
のカタログを手に入れて読み耽り、
学校にエキスパンダー、
鉄アレイまで持っていきました。

担任の先生も一緒になり、筋トレ(笑)。

11歳からスクワットとかを日課にしたので
もう50年!

われながら、ビックリ!

中学校:男子だけの学校。暗黒時代(笑)

クラブ活動、柔道、水泳、陸上、どれも続かない。

3日坊主。

親に責められたけど、嫌なものは嫌。

その反面、筋トレの自主トレは続いていたのです。

学校の番長とささいなことで喧嘩になり、
大けがをさせてしまう。

睾丸を蹴り上げて、
血を出させてしまったのです。

今だったら、退学かもね。

高校時代:
勉強そっちのけで、筋トレ。

バーベルやベンチを買うため
にゴルフ場のキャディをやってました。

⇒ほんとはバイト禁止だったけど。

高校2年生の終わりに
ベンチとバーベル100キロが揃い、
トレーニング開始しました。

ほんと、嬉しかったです。

受験勉強:
国立を目指してましたが、
一切、勉強してなかったので、
見切りをつけました。

私立の関学を第一志望にしました。

科目、国語、英語、世界史。

国語は元々、成績がいいので、
なにもしないことにしました。

勉強0で、全国規模のマンモス模試で
全国1位になったことも。

英語、弱かったのです。

オーソドックスな学習は死ぬほど苦痛だったので、
「楽チンな勉強」を探しました。

ありました。

小田実という予備校の先生
(後にベ平連をおこす)が、
学生に英語版「プレイボーイ」を
読ませる授業で成果をあげたことを知ったのです。

英語版「プレイボーイ」は、
金髪の綺麗なお姉さんのヌードが
一杯のご機嫌な雑誌です。

17歳の私は、「これなら必死で読める」
と向学心?に燃えたものです。

さっそく、三宮の洋書店「ペイネ」に行きました。

しかし、But
お店番のお姉さんは2つほど年上の絶世の美女です。

私は、恥ずかしくて「プレイボーイ」
を買えなかったのです。

そのかわり、シュワルツェネガーが
表紙の筋肉雑誌を買いました。

その後、毎月、
筋肉の洋雑誌を買うようになりました。

朝から晩まで筋肉雑誌を読んでいたので、
英語の成績はグーンと伸びました(笑)

あと、世界史。
当時、記憶術の本を購入して、
「これはエエ」と思いました。

それで、直前まで記憶術のトレーニングのみに集中。

試験の一ヶ月前から世界史を覚えはじめました。

本を1冊、丸暗記したので(笑)、
素晴らしい成績だったと思います。

関学の経済(関学でいちばん良い)
に楽勝で受かりました。

自分としては、作戦を練って、実行しただけ。

しかし、普通ではないですね。

大学時代:
筋トレと町のナンパに打ち込んだ
5年間(留年した)でした。

自己催眠術と瞑想の修行も開始!

ジムでは川野さんという方に
べったりとひっつき、
トレーニングのフォーム、
食事、睡眠まで真似をしました。

いまでいうモデリングを自然にやってました。

「成果を出した人のやっていることを
真似したほうがエエ。
自分の頭で考えるのはそれから。」

とわかってました。

就職:最悪でした。
警察学校を一ヶ月で辞める。

損害保険の外交になるも半年でクビ。

その後、職業訓練校というところで、
経理の技術を身につける。

当時、「経理になろう」と思ったのは
たいした動機なかったです。

・職業訓練校、なんと失業保険を1年間も貰いながら、
 格が取れる。

・社会に出て1年、厳しさが身にしみて、
 もう1年学生がやりたかった。

・経理なら、「働きながらトレーニングできそう」
 と考えた。

仕事ではなく、やり甲斐ではなく、
筋肉優先の選択(笑)。

その後、ダイエー系のハンバーガー会社の
経理に就職するも「態度が悪い」ということで、
半年で店舗へ。

つまり、店でハンバーガーをつくる仕事です。

「こんな仕事、男子一生の仕事じゃない。」

また、辞めました。

そして、新聞配達になりました。

「アルバイトニュース」
でアルバイトとして働いたこともあります。

土方などの肉体労働もやりました。

「ちり紙交換」もやりました。

神戸のヤクザと一緒に貸金の取り立て
をやったこともあります。

私が「ナニワ金融道」とか「ミナミの帝王」
の世界をよく知ってるのは、
この頃の経験からです。

毎日、ヤクザと仕事の話をしてました。

世の中の最下層の人たちと一緒に
辛酸をなめ尽くしたのが私の青春です。

親戚から、「あんたは親戚の恥や。」
と言われたのはこの頃でした。

しかし最近、ある女性から
(20歳代、かわいい)こう言われました。

「『男は40歳を超えなければ、
格好良くならない。』
というのは、ほんとですね。」

私「え?それはどういう意味?」

その女性
「うーん。山田さん、かっこいい。
山田さんにはオーラがある。
芸能人的なオーラではなく、
実人生の経験から身につけた
大人の男のオーラ。かっこいい。」

私「、、、、、、ありがとう。」

まあ、辛い経験もプラスになったのでしょうな(笑)

その後、30歳代になり、
子供もできて、落ち着いてきました。

ただし、「低いレベルでの安定」です。

ひとつ忘れてました。

20歳代にCHIの力で
「ビックリ日本新記録」で優勝!

オリンピックのアマレスにもでた
サンダー杉山さん(140キロのプロレスラー)
とかのメンバーのなかでの優勝です。

アメフト、ラグビー、相撲の選手たちに混じり、
最も小柄な私がダントツの優勝でした。

メルマガの読者のなかにも
この番組を観た方がいました。

「ああ、あの凄い怪力のひとが山
田先生の若い時ですか。覚えています。納得。」

本にもなり、私は持っています。

44歳のときに転機がありました。

死にかけたのです。

盲腸だったのですが、
クソ医者が「ただの風邪」
と誤診したのです。

虫垂炎で大手術の末、5週間の入院。

最初、医師に「大腸がん」と脅かされて、
死を覚悟しました。

「俺は自分の人生を生きてこなかった。
流されて生きただけだった。」

「俺は生きる!ことをしなかった。
愛する!ことをしなかった。」

すごい絶望感でした。

さいわい、生き残ることができました。

私の人生は変わり始めました。

44歳にして、ネットで独立を決意。

退院後に日本にはじめて
「スロートレーニング」を紹介。

これが爆発的なアクセスがありました。

実は退院後に元の会社(ゴルフ場管理会社)
に戻ると、窓際族になってました(笑)

2人の新入社員が入り、
私の仕事はなくなっていました。

年末の打ち上げでは、
社長に「山田、おまえ、いつ辞めてくれるの?」

と真顔で言われました。

しかし、正月休みに社長が私のサイトを観ました。

「こいつ、山田やないか?」
⇒5階級特進でネット集客担当に。

以後、紆余曲折はあったものの、独立。

順調に収入も自由時間も伸びました。

・アンソニー・ロビンズともツーショットを撮りました。
 ⇒井口さんのおかげ。

・井口塾、数千人のなかで一位に。

・与沢塾一期でも圧倒的な一位。

・2つのコーチング塾1位(収入で)。

・長谷川さんのセミナー講師塾で1位。

・コピーライティング塾で1位(収入)

・ダイレクト出版の
 リストブランディングコース(メルマガ)で、一位。

いろいろな塾に入りましたが、だいたい、1位です。

我ながらすごい。要領が良い?

違います。

すべてのことにマスターのコツがあるのです。

本質。

本質をマスターすること。

これからもいろいろなことをマスター、
実行して、
素晴らしい人生を堪能していきます。

夢を持ち、挑戦して、現実の世に実現させていく。
最高の快楽!

以上、長かったですが、
私の人生「DrawMyLife」でした。





山〇豊〇

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目標・実行・結果 の繰り返し [過去の経験談]

野呂〇社長メルマガシェアです。

この方は、メルマガ書く(入力する)のに
どのくらい時間が掛かるのかが気になってしまう
毎回長ーいメルマガです。

それではどうぞ!!!
____________________________
野〇田です、

早いもので、新メルマガを書き始めて、もう第10回を迎えました。

1度の文量が多いので、そう考えると
「かなり書いたなー」という印象です。

でも正直、長い文章を書くって、
ぼくの中ではそんなに大変なことではないんですよね。
(読む方は大変かもしれないけど笑)

それには秘訣があって。

きっとお仕事柄文章を書く人にとっては、
参考になるかと思いますので、
今日はそのことについて書いていきますね。

普段文章を書かない人でも、日常での会話で、

「この人はなかなか深いなー」

と思ってもらえるようになるので、
楽しみにしていてくださいね。

おもしろいことに、文章が書けるようになれば、
それに比例して話も上手くなります。

それだけでなく、
人の気持ちも理解できるようになるし、
収入も上がります。

家族関係もよくなるし、
異性からもモテるようになります。

なので、文章力を極めていけば、
いろんな副産物もあるので、
ライティングはとってもオススメです。

それでは、
第10回のメルマガ、スタートです!
━━━━━━━━━━━━━━━━
目次
1. Thursday Topics
2. 野呂田の視点
3. 今週の目標の進捗
━━━━━━━━━━━━━━━━━
【1. Thursday Topics】
ぼくは会社員を卒業した2012年から
Facebookを使って情報発信してきて、
かれこれ5年、それに加えて、
大学生の時も文章を上手くするために
ある時期からコラム的なものを書いてたので、
それも入れると8年、
文章を書き続けてきたわけですが。

すらすら書けるときと書けないときって、
明確な差があるんですよね。

それは極めて単純で、
「自分のフィルターが通っているか」
これだけなんですよね。

ぼくが全然書けなかったとき、
あるいは書けても個性のかけらもない、
ありきたりでつまらない文章しか書けないときは、
その多くが本とかで読んだ浅い知識を
そのままパクってるだけみたいな感じなんですよね。

腑に落ちてないから薄っぺくて、かつ表面的なのです。

逆にスラスラ書けるときは、
自分の体験をベースに書いているので、
そのときの感情や臨場感を伝えることができて、
楽しみながら、かつ誰にも真似のできない
内容を書けるわけです。

本に書いてあるマインドセットとかだと、
読みさえすれば誰でも書けるから、
その人が書く意味がないんですよね。

ただ、本の知識に自分の体験を載せて書くのはアリです。

自分の体験が具体例になった時点で、
その文章はオリジナルになるので。

なので、スラスラ書くためのポイントは、
自分の体験をベースに書くということを
覚えておいてください。


【2. 野呂田の視点】
※このコーナーでは、
日常にどんなエッセンスを加えれば、
クリエイティブな人生に近づけるのか、
そのちょっとしたヒントを書いていきます。

↓↓

先ほど、自分の体験をベースに書く、
というお話をしました。

ここではせっかくなので、
それに付随してさらに大切なことを
書いていきたいと思います。

それは、先ほどと一見矛盾するようですが、

「ただ自分のストーリーを書けばいいというもんじゃない」

ということです。

少々残酷な言い方ですが、読み手は実は、
そこまで書き手に興味はありません(絶望)。

なので、ただストーリーをだらだらと書くだけだと
それは単なる日記でしかなく、
特に価値を生むものではないのです。

価値のないものはおそらくですが、、読まれません。

好きな芸能人の日記なら
読みたいと思うかもしれないけど、
知らないおっさんの日記とか、
読みたくないですよね。

もちろん、あなたの日記の方が、
おっさんの日記よりも
幾ばくかおもしろいとは思いますが、
芸能人並みに反響があるかというと、
やはり勝てないと思います。

つまりぼくらは今、

“オリジナルな文章を書くためには
ストーリーをベースにして書けばよい。

だけど同時に、
人はぼくらのストーリーには全然興味がない”

という、大きな問題を抱えてしまったのです。

この問題は、果たしてどうすれば
解決できるのでしょうか?

ここからぼくなりの解決策を
書くつもりだったのですが・・・

ちょいと気分が変わりまして、
せっかくなのであなたにも
考えて欲しいなと思ったので、
書くのを次回に持ち越します。笑

よかったら、

「○○を意識して書けばいいんじゃないですか?」
「簡単です、こうすればいいんです!」
「うーん、私はこう思いますね」

みたいなことを、考えてみてもらえますか?

客観的な正解などないので、
ぜひ自由に発想してもらえればと思います。

ぼくなりの答えは月曜に配信しますね!


【3. 今週の目標の進捗】
※木曜日は、月曜に立てた目標を
ちゃんと頑張ってるかを報告することで、
目標達成から逃れられない
環境を作っていこうと思います。

1、一つ一つの出会いを大切にする

月曜に本田健さんの
コミュニティのメンバー数人と
ご飯に行ってきたのですが、
早速その中のメンバー同士で
ビジネスが生まれていました。

なんか、こういうのっていいなと思うんです。

異業種交流会とか、営業の人と話すとか、
ビジネスライクな繋がりからだと
どうしても身構えちゃうところがあるけれど、

価値観を共有できる、同じコミュニティのメンバーで、
仲良くなることで、外見も中身もよく知れるから、
そこで意気投合すれば
本当にいい関係が築けると思んですよね。

人との繋がりが深いほど、
普段聞けないような情報を教えてもらえたり、
あるいは教えたくなったり、
思わぬ学びや展開になったりするので、
環境の力って本当にすごいなって思います。

2、「聞く力」系の本を20冊程度読む

しまった、まだ3冊!

言い訳をさせてください!
忙しかったんす!笑


3、立ちコロを1日10回3セット行う

これを書くまですっかり忘れていまして笑、
今立ちコロをこなしました。

それとは別に、
一週間後にK-1の試合を控えていて、
今週は毎日激しく練習をしています。

痩せてきたぜ!

ということで、区切りの第10回も終わりに
差し掛かってきました。

今後はより内容をよりおもしろくするために、
思いついたことはどんどんやっていくし、
スタイルもどんどん変化させていこうと思います^^

それでは、次回のメルマガもお楽しみに。

今回も最後まで読んでいただいて、
ありがとうございました!

よかったら、問いかけてみたことに関して
あなたの考えを聞かせてくださいね^^


発行者:野〇田〇樹
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実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

ハラハラドキドキ・・・
一難去ってまた一難・・・
本当に体に悪いですね・・・・

七星先生の、過去のデリヘル経営にまつわる体験談です

興味のある方どうぞ!!!
___________________________________

松田勢力崩壊

美藤さんは早速、松田さんの経営する店舗に
一つ一つ殴り込みへ行って、机をひっくり返したり、
女の子を目茶苦茶にしたりしていったんです。

そんなことを繰り返されていれば、
頻繁に暴力沙汰が起こっているようなお店には
お客さんだって寄り付かないですから
どんどん経営が悪化していって、次々に潰れていきました。

松田さんの系列のお店ではなくても
近くに軒を連ねているお店は
『ウチもとばっちりを喰ったら敵わん!』

といって、次々と店を畳んでいきました。

いくらお店が減ったとしても、お客さんの絶対数は変わらないし
お店がなくなっていけば、
お客さんはいまある店に集まるほかないので、
松田さんや近隣のお店から溢れてしまったあと、
お客さんは、私の店舗にどんどん集まってきたんです。

もともと桐島のデリヘルだけじゃなくて
他のデリヘルとも提携することができていれば
こんな劣悪な経営状態にならずに済んだはずなんです。

以前、この提案を桐島へ持ちかけたら
「えっ?なに言ってんの? そんなん通用するワケ無いじゃん。
 だってななちゃんが店舗を始められたのは、俺が声掛けたからでしょ?
 で、俺がデリヘルやって、
 ななちゃんがレンタルルームやってって決めたよね。
 ちゃんと話つけたよね。

 それをさ、今になって「他のデリヘルとも提携したい」って言われたって、
 そんな話通るわけないじゃん。ふざけるにも程があるでしょ。

 こっちはさ、組の看板も背負ってるしさ、
 義理違いなことなんて出来ないんだよ。わかるっしょ?」

と、全くもって全否定で、取り付く島もない状況でした。

この頃は、桐島を殺そうと思い始めてました。

殺人事件って、こういう心理から生まれるって初めて解りましたね。

でも、美藤さんがケツ持ちに付いてくれて
方々へ尽力してくれたお陰で、この桐島デリヘルとの
単独一社独占契約が解除されて、いろいろなデリヘル業者と
提携を結ぶことが出来るようになり、
それまで何ヶ月も苦汁をなめさせられましたけど、
美藤さんが来てくれてほんの2ヶ月くらいの間に
状況はガラッと一変しました。

売上も徐々にあがってきて、
このまま行けば、損益分岐点を超えて、
やっとしっかりと利益がでそう。一年間、
ずっと赤字だったお店が、ついに黒字になり、
お金を産む店舗になりそうになりました。

地獄の一年間に終わりが見えてきたのです。
全てが順調に回りだしてきた頃、
美藤さんから電話が掛かってきました。
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