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実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

七〇先生の過激な過去の経験談シリーズ!!
東北地方でのキャバクラ経営に関するお話が記載されてます。
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当時、この街の風俗で幅を効かせていた
松田さんという人がいます。

松田さんも私のヤ◯ザ養成学校の先輩だったので、
私がレンタルルームを始めるにあたって、お世話になった一人です。

例に漏れず、松田さんも
バリバリのヤ◯ザになっていましたけど、
風俗店を任せられて、商売の才能を発揮したのでしょう。

この街で一番の売上を誇っていましたし、
売上が多ければそれだけ組への上納金も多くなるので、
組織の中でもかなり座布団は上になっていました。

そんな中、私が街へ戻ってきて店舗を構えることになったとき、

『どうせ頼るなら、顔見知りの先輩だし、
 バンバン売上をあげているところから教えてもらった方がいい』

と思い、昔のツテを使って松田さんに連絡を取りました。

「松田さん、ご無沙汰しております。
 高校の後輩で七星と言います。

 今度、桐島と一緒にレンタルルームをやることになって
 店長もやらなくちゃいけなくなったんですけど、
 やり方が全然分からないので一番売れている
 松田さんから教えてもらいたいんです。

 本当に突然で申し訳ないんですけど、
 少しの間でいいんで修行させてください!」

「おー、七星か。応援団だったヤツだろ?覚えてる覚えてる。
 なんだ、最近あの大通りで店作ってると思ったら七星だったんか。
 そっかそっか、分かった。

 ウチで良ければ好きなだけ勉強してきなよ。
 下のモンと、店のモンには、よく言っとくから、今日からでもいいぞ」

と、快諾してくれて、その日から松田さんの店舗で
勉強させてもらうことになったんです。

松田さんとはいろんな話もしましたし、
私の店舗が開店してからも、よく一緒にご飯にも
連れて行ってもらっていたので、私としてはいい先輩でした。

そしてその松田さんの先輩に当たる人が美藤さんで、
ヤ◯ザの世界としても松田さんは美藤さんの
舎弟とまではいかないですけど、座布団下だったんです。

美藤さんがムショに入るまでは、仲良くしていたらしいのですが、
中に入っている間に松田さんが美藤さんの彼女を寝取ったらしく、
かなり険悪な仲になってしまっていたので、
私が美藤さんにケツ持ちの話を持ち掛ける前から

『松田の野郎、フザケやがって!
 あいつの関わってる店、絶対一つ残らず潰してやる!』

という気概になっていたのです。

そこに私からケツ持ちの話が入ってきたので、
まさに、利害が一致した交渉だったんです
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実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

やくざ?の今・・

七〇先生の過去の過激な経験談人気シリーズ!!

早速どうぞ!!!
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こんな風に、なんとかレンタルルームの経営をしている時に、
一本の電話が鳴りました。

高校時代の別の悪友です。

《別の悪友》といっても、高校時代の友達は全員悪友なんですけどね。

私がレンタルルームの集客とか、デリヘルの女の子の募集とかを
ホームページを作って上手くやっていたのを知って、
電話が掛かってきたんです。

『もしもーし、久し振りじゃん。どうしたの?』
『ななちゃんってさ、パソコンできるんでしょ?
 ホームページっていうんだっけ?
 あのお店の宣伝とかのインターネットのヤツさ
 ああいうのちょっと作ってもらいたいんだけど』

という依頼だったんです。

『あー、できるけど、なにー?』
『なんかさ、今、出会い系サイトってヤツが
 結構儲かるらしいんだよね。

 だからさ、俺もそれに乗っかりたいから、
 ちょっと出会い系サイトってのを
 作って欲しいなと思ったんだよ。』

当時は、ちょうど出会い系サイトが流行りだしたときなんです。

私はプログラマーでもなんでもなかったんですけど、
『インターネットで《出会い系、システム構築》とか
 検索すれば、なんとかなるんじゃね?』

と思いましたし、基本的に私は全てに対して
《YES》の返事しかない究極のイエスマンなので、
このときももちろん答えは「YES」でした。

『いいよ。なんとかする。あとで掛かった経費だけは頂戴ね。』

そんな感じで引き受けました。

なんにも深く考えていない、ただのアホです。

『いいよー』と引き受けたはいいけど、
もちろん自分では作れないので、事前の想定通り、
インターネットで検索して
サイト制作の業者さんを見つけたので、
『出会い系サイトの作り方、教えてください』
とお願いしました。

すると、
『じゃあ、20万円でいいですよ!』

と、システムを20万円で譲ってくれたので、
そのシステムをそのまま20万円で悪友に横流ししたんです。

私はプログラミングの知識も大してなかったので、
譲ってもらったシステムは中身を全く確認しなかったんですけど、
全く使いモノにならないシステムだったようなのです。

相手と言っても、この悪友も例に漏れず
ヤ◯ザになっていたので、また新たなる悪夢の幕開けです。

この時、感じたのは、高校時代にどんなに仲良くても、
ヤクザになった奴は、絶対に信用してはダメって事です。
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実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

風俗店営業に関わった人でこのブログを見ている方は
限りなく0に近いんだろうな・・・
と思いつつ、風俗店話で盛り上がっているサイトを
見つけることを生きがいにしている様子です。

お世話になっている西野です。

いまもそうですが、日本の法律では、
店舗型風俗店はもう新規では出店できません。

いまある店舗型の風俗店は、
何十年も前から経営されているお店ばかりです。

でも、それをなんとかするための方法が
女の子を手配する会社と、店舗を管理する会社を別にして、
それぞれ別にオーナーがいる状態で経営する形だったんです。

これだと、法律的に問題なく
店舗型風俗店を運営する事ができます。

でも、これは桐島が描いた地獄絵図だったんです。

どういうことかというと、いくら私がホームページから
女の子を募集して見つけてきても女の子の管理は私ではないんですよ。

今回の売り上げの仕組みは、私が店舗のオーナーで、
霧島がデリヘルのオーナーお客さんは、
まず私の店舗に休憩をしに来る。

そして、お客さんが自分でデリヘルから女の子を呼ぶ。

私が女の子管理をすると、法律違反になります。

女の子はあくまでも、男性に呼ばれてきたという形なのです。
女の子の管理は私ではなくてデリヘルのオーナーである
桐島がしないといけません。

なので、私が女の子を見つけても、女の子の教育や管理とか、
女の子に関することは全て桐島なんです。

しかも、女の子はデリヘル嬢として
店舗へ呼ばれてきているわけですから、
女の子の待機所を店舗の中に設けることは
絶対にしてはいけないですし、
もしかすると、違法の風俗店として
すぐに警察が絡んでくるので
待機所は別のところへ設けなければいけなかったんですけど、
待機所として使われていたのは桐島の自宅だったんです。

こうなってしまうと、
一つのパターンが出来上がってしまうんです。

・私が女の子を見つける
・女の子を桐島の家へ連れて行く
・桐島がその娘と付き合う
・慣れてきたらDVを働き始める
・洗脳する

という感じです。

このパターンが出来あがってしまうと、
女の子たちはもう桐島の言いなりになってしまうので
私の一人負けになってしまうんです。

女の子が桐島の言いなりになってしまうということは、
デリヘル嬢としても桐島のいいように
動かされてしまうということです。

結局、桐島は私が見つけてきた女の子を使って、
自分は自分で、デリヘルを始めていました。

そうなると、店舗経由のお客さんと、
直接のお客さん、二つのパターンがあり、
店舗経由の方は私の取り分があるから、
利益が少なくなります。

なので、店舗からお客さんが連絡してきたときは、
可愛い女の子を指名しても
「今、その娘いないんですよー」
と言って適当な女の子を派遣してくるんですけど、
店舗を通さないでデリヘルに直接依頼がくると、
可愛い女の子を送り込むんです。

そうして桐島は、女の子の出向先を自由に変えてしまって、
店舗を通さないでデリヘルだけに利益が流れ込むように
管理するようになっていったんです。

こうなってしまうと、
私がどんなにいい女の子を集めて、
どんなにいいお客さんを呼び寄せたとしても
どうやっても私のレンタルルームが儲けを出すことが
難しい形が出来上がってしまったのです。

そうなれば、考えつくことが一つです。

実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

七星先生の人気自伝シェアです。
やくざ養成高校出身の波乱万丈な人生は、
本当に激しいです・・・・・

興味のある方は、是非どうぞ!!

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看板の作り方を調べようと思って出向いた本屋で出会った本は、
本の下半分を黄色い帯で覆っていてやたらと目立つ

【「行列のできるスーパー工務店」の秘密】

という本でした。

このときはレンタルルームの
オーナー兼店長ではありましたけど、
現役の内装職人でもあったので

《行列のできるスーパー工務店》というタイトルは、

ひと目見ただけで、私の心は激しく揺さぶられ、
気が付いたときには手に取ってレジに並んでいたんです。

結局、本屋には、看板作りに関する本は売っていなかったので、
生まれて初めて買った漫画以外の本はこの本でした。

たまたま立ち寄ったビジネス書のコーナーで出会った本でしたが、
惹かれて買って帰って、読み始めてみると
『スゲーな。こんな人もいるんだ!俺もいつか、なれんのかなー』

と漠然とした夢を持たせてくれた本でした。

当時としては、タイトルも表紙も奇抜な本で
この本を書いたのは《平 秀信》。

後に私の先生となる人だったんです。

でも、このときの私は
そんなことなど夢にも思わず、ただ単に、

『世の中には、すごい人、すごい工務店のおっちゃんもいるもんだな』

と素直に感じただけだったんです。

まさか、数年後に、一緒にビジネスをしたり、
世界中を旅する仲の師弟関係になるとは、
この時は考えてもなかったです。

結局、目当ての看板系の本は無かったのですが、
なんとか看板を作って、店頭に掲げたはいいものの
想像していたより客足は伸びなかったので、

『なんとか売上を上げないといけない!

 このまま赤字でやっていたら、いずれ潰れてしまう!』

とかなり切迫した状態になっていたんです。

ちょうどこの頃、インターネットが流行り始めた時期で、
『ここは時代の流れに乗って、ホームページを作ってみよう!』
と思ったんです。

パソコンをイジっていたとはいえ、
当時の私はWEB関係のことなんて
サッパリ分からなかったので、パソコン屋さんへ行って
《ホームページ・ビルダー》を買ってきて、
なんとなくドメインを取って、
見よう見真似でホームページを作りました。

見よう見真似で作ったものですけど、
結構いいホームページが出来たんです。

まず、女の子からたくさん連絡が来るようになりました。

ホームページには、お店の案内の電話番号の他に
女の子の求人用として専用の電話番号を載せていたんですけど、
週に一本くらいのペースでコンスタントに鳴るようになったんです。

お店を始めるときにも女の子がいなくて
テレクラで自力で集めたので、
もう電話の受け答えは馴れたモノでした。

「もしもーし、こんにちはぁー。求人ですかぁ?」

という感じで受けて

「まあ、じゃあ、とりあえず一回会ってみましょっか!」

と、女の子をどんどん見つけていって、
お客さんも徐々に増えてきてんですけど
大きな問題がここにも待ち構えていたんです。

やはり、元凶となるのは・・・

桐島なんです。
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実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

起業家”七〇先生”の貴重な経験談です。

知る人ぞ知る、人気内容です!!

興味のある方どうぞ!!!
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いきなりデリヘルのオーナーどころか
店長までやることになってしまいましたけど、
やり方なんてさっぱり分からなかったんですけど、
高校時代のツテもあっていろんな人に教えてもらって
なんとか始めることが出来ました。

ハコを作ったのは、結構な大通り沿いだったので、
お客さんを集めるためにでっかい看板を掲げることにしました。

当時のこの街には、私が作ったハコがある大通り沿いに、
私ほど“どーん”と風俗関連のお店を構えているところは無かったので
大きな看板はかなり目立ちました。

私は元看板屋でもあったので、もちろん看板は自分で作れました。

この看板は、本当に大きな看板で、
縦6m、横5mくらいの巨大なものです。

縦6mと言ったら2階建ての家の高さとほぼ一緒なので、
どれくらい大きな看板だか分かると思います。

この巨大な看板にでっかでかと《レンタルルーム》と書くのに、
高校時代に仲の良かった電気屋の娘の家へ押しかけて、
「おっちゃーん!久し振りー。
 悪いんだけど、看板付けるんでちょっとハシゴ貸してー」

と言って、でっかいハシゴを借りてきて、
自分でよじ登ってペタペタと貼って看板を作ったんです。

高校時代に築いた第二の地元みたいなものなので、
いろんな知り合いがいろんなお店をやっていたので
すごく助かりました。

看板も作るとかなり目立っていたので、
お店を始めたらチョロチョロとお客さんは来るようになったんです。

でも、やっぱり経営は下手くそで素人に毛が生えたようなものでしたし、
そもそも商品である女の子の質もかなり悪かったです。

風俗業界の言葉で、お客さん一人のことを1本、2本、、、と、
チ◯コの本数で売上の数を表すんですけど、
このレンタルルームではだいたい月に
100~150本くらいが普通でしたし、
悪いときは80本くらいだったんです。

この街で一番人気があって売れているお店で、
月に1,000本くらいだったんです。

月に80本だとすると、
1本当たりの利益は5,000円ですから、
月の売上は40万円です。

40万円から家賃を払ったり、光熱費や、ヤ◯ザへのケツ持ち代など
必要経費を払っていったら全く手元にお金なんて残らないんです。

損益分岐点が経費として80万円くらいだったので、
160本は売上がないと自分の給料さえ出なかったんです。

こうなると、1,500万円の貯金があったはずなのに、
再びプロミス、アイフル生活に逆戻りしてしまったんです。

無計画すぎて、いま考えると笑えてきます。

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実際に起きたバイオレンスストーリ(回想編) [過去の経験談]

七〇先生の人気シリーズ!!
過去の経験談内容です。
それでは、どうぞ!!
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桐島からのうまい話にまんまと乗せられて
ハコを作ってレンタルルームを
始めることになりましたけど、
いざ蓋を空けてみれば、

・女の子はいない
・店長もいない

ないない尽くしで、とてもじゃないけど
お店自体を始められる状態ではなかったんです。

この時点ですでに1,000万円近くつぎ込んでいた私は、
もちろん止められるわけなんてないので
どうにか継続する道を探しました。

女の子は自力でテレクラを使って集めましたけど、
困ったのは店長です。

店をあきらめることなんて出来ないですけど、
肝心の店長のアテがない。

誰かに頼むことが出来ないなら
もう自分でやるしかないですよね。

幸い独立して仕事をしていたので、仕事も時間もある程度
自由がきいたのが幸いでした。

でも、店長なんてもちろんやったことなんてありませんし、
そもそも風俗なんて一回も行ったことがなかったんです。

自分自身がお客としても絡んだことがない業種でしたので、
『どうやったら店長の仕事が上手くできるんだろう?』
という疑問に先立って、まず、

『そもそも店長ってなにやるんだ?』

という、超基本のところからのスタートでした。

仕方ないですが、店長をやらなければならなくなったので、
まずはこの街にある風俗店を何件か回って
お店の雰囲気や仕事、店長の役回りなどを
勉強することにしました。

この街には、風俗店が7店舗くらいしかなくて、
あとはデリヘルが20件くらいありました。

なので、風俗関連のお店が全部で30件近くあったんですけど、
この風俗店のオーナー達は全員高校時代の友達だったんです。

田舎なので、街が狭いんですよね。

あそこの店は〇〇君で、あっちは□□さん、
で、向こうの店は△△君の後輩のお店、といった感じで、
どこの店は誰がやっているとか分かりますし
街全体が仲間内で仕事をしているような感じだったんです。

私は元々東京の人間で、高校卒業してからも
この街へは年に一回遊びに来るくらいで
卒業してからもう10年以上経っていましたけど、
私がハコを作ってレンタルルームを始めると言ったら、

「おぉーななちゃん!久々に来たな!
 どうした、またなんかおっ始めんのか!」

みたいにワイワイと歓迎してくれました。

私の第二の故郷ですし、ヤ◯ザ養成学校ではありましたけど、
高校時代の仲間はみんな気のいいヤツらだったので、

「ななちゃん、頑張れよー!応援してっからさ。
 なんかあったら言ってよ。」
と嬉しい歓迎でした。

そんな感じで、風俗店の店長の仕事を、
いろいろな仲間に頼んで見学させてもらって、

『ほうほう、こんな感じでやるんだ。
 あーそういうことをやればいいんだ。』

と勉強したんです。

高校時代に桐島と一緒になってブイブイ言わせていたことが、
こんなところで功を奏したんです。
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実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

やっと人生が良い感じに回ってきたと思ってたら、
急な大金が入った事をしった?
過去の友人から誘いの電話が・・・・
七〇先生の体験談です。
それではどうぞ!!!
______________________________

10月になっていたとはいえ、
残暑が厳しい、よく晴れたクソ暑い日でした。

その日は、内装工事前の解体工事をやっていたので
サウナのような現場で、ネバつく汗が全身から吹き出し、
辺り一面は2m先も見えないくらい埃が立っていて、
その中で作業している私は、
ヘルメットの上から安全靴の先まで埃まみれになって、
粉塵防護用のマスクを付けていて息をするのもやっとの状態のときに、
携帯電話が鳴ったんです。

「もしもーし、あ、しっちゃん?なんかさぁー、最近羽振りいいみたいじゃん。」

「あー、なに?今仕事中で忙しいんだけど」

埃まみれになって苦しい状態で仕事をしているときに、
のらりくらりと呑気な調子で
どうでもいい話をするためだけに電話が来たのかと思うと、
イライラしてしまいました。

相手:「あ、ごめんごめん。そう怒んなよ。」

自分:「だからさ、今忙しいんだけど、なに?くだらねぇ話なら切るよ」

相手:「いやいや、電話したのはさ、別の用件で。
   「しっちゃんさ、レンタルルーム出さないかい?」
   「は?レンタルルーム?なにそれ???」

声の主は、あの、桐島です。

この一本の電話が悪夢を拓く禁断の扉だったんです。

激動の一年の始まりです。

その日の夜には、
◆高速道路を車で飛ばして東北の地方都市へ行き、
◆物件を見つけて連絡すると東北のラブホテル王と出会い、
◆始めてのビジネス書を手に取り
◆尋常ではない2ヶ月という速さで店舗を作り旅館業免許も取得し、
◆女の子がいないと言われて自分でかき集め、
◆店長がいないと言われて自分でやり、
◆開店したと思ったらヤクザに拉致され、、、
という人生が始まったのです。

この“ハコ”ビジネスですけど、
実は法律の隙間を巧妙に抜けたグレービジネスなんです。

今はちょっと分からないですけど、
私がハコビジネスを始めた2002年頃は、
ソープランドとかファッションヘルスといった
個室を持った風俗店というのは、
新しく始めようとしても許可されないんです。

今もたぶん変わらないと思いますけど、
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律
(いわゆる風営法・風適法)の絡みで難しくて、
日本はもう風俗店をオープンさせない方針なんですね。

既に存在している店舗は潰すわけにはいかないですけど、
新しい店舗は作れないんです。

しかも、改装工事すら難しくて、
下手をすると壁を取り壊した瞬間に
お店の営業許可免許が取り消しになったりしてしまうので
かなり面倒くさいんです。

なので、今ある店舗も、次第に老朽化してきますので、
改装工事で修復すらできなくなると、
もうお店の建物自体を潰すしかなくなってしまうんですね。

そうなると、どうやって
新しい風俗店を出店させるかというと・・・


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実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

管理会社側の指定業者であることを良いことに、
500万円くらいで済む工事だったのに、
2,000万円の見積もりを出したんです。

当時の私にとっては、
かなり高額の見積もりだったので、
私も膝がガクガクして、
指先もプルプル震えながら提示しました。

見積書を見たファッションブランドの社長は、
しばし考えたあとに、やっと口を開きました。
「この金額を払えば、
 あなたが全部終わらせてくれるんだよね?」

悪くない手応えを感じたので、

「もちろんです! 私に任せてもらえるなら、
 大家さんは、私が納得させます。

 ただし、この見積書でOKだったらです。
 この見積書そのままでOKなら、全てを終わらせます。」

と、強気に出たんです。

実は、私はこのビルのオーナーさんとは
結構仲が良かったので、
話をまとめる自信がありました。

当時、80歳くらいだったオーナーは、
当たり前ですけど戦争体験者でしたし、
元日本軍の軍人だったので、
元自衛隊だった私のことを
すごく気に入ってくれて、評価も高かったんです。

問題なく2,000万円の見積もりが通って、
やったのは500万円の仕事。

当たり前ですけど、
これでいきなり1,500万円の利益が出ました。

27歳で独立して2年間やってきて、
29歳で突然貯金が1,500万円も出来たんです。

それまでずっとプロミスやアイフルから
お金を借り続けていた人生だったのに、
借金を返済しても、1,000万円以上のお金が残りました。

お金の話というのは不思議なもので、
誰かが大金を持ったりすると
どういうわけか話が広まっていくものなんですね。

私も例外ではありませんでした。

大金が舞い込んできて、少し経った10月のある日、
埃まみれになりながら解体工事をしていると、
一本の電話が掛かってきました・・・・・・・・・・・・・

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実際に起きたバイオレンスストーリー(回想編) [過去の経験談]

結構過激な経歴をもつ、
七〇先生のメルマガ人気コーナーシェアです。
楽しみにしている方も多いのではないでしょうか?
それではどうぞ!!!
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お義兄さんの管理していたテナントビルを、
ある有名なファッションブランドが
丸々一棟借りていたんですけど、
出ていくことになりました。

でも、これがヒドかったんです。

ブランドにビルを貸すとブランドごとにコンセプトがあって、
それに合わせて内装工事が入って店舗を作っていきます。

しかし、いくら内装工事をしても、
イジっちゃいけないところっていうのがあります。

建物の本体みたいな部分です。

専門用語では、躯体(クタイ)と言います。

この躯体をいじる時は、通常、不動産屋や大家さんに
許可をもらわないといけません。

今回のファッションブランドさんは、
許可なく、ビルをめちゃくちゃに工事して、
もう内装工事でグッチャグチャになってしまっていたんです。

しかも、運が悪いことにこのビルのオーナーさんは
数あるオーナーさんの中でも、とても細かい人で、
また、もの凄ーく、このビルを愛している人だったんです。

ファッションブランド側は、
オーナーさんになんの相談もなく
内装工事をしてしまっていましたし、
しかも躯体にまで手を掛けてしまっていて
グッチャグッチャでしたから、当たり前ですけど
オーナーさんはもう頭から
マグマが吹き出して噴火しそうな勢いで
カンカンの大激怒だったんです。

「もう、やっちまったモンは仕方ないけどな、
 お前、ここ出るときには、絶対にキッチリ元通りに戻せよ!」
と言われてしまっていたのです。

まあ、当たり前ですけど。
そして、いざビルを出て行く時になったので、
私は、大家さん側で、ビル管理の指定内装業者として
見に行ったんです。

『あー、これ、本当に躯体にまでやっちゃってるわー。』
 『・・・・・・・・ヒドいなー』

と思ったのが第一印象です。

ザッと計算してみると500万円くらいで
全部が終わるとの概算が出ました。

でも私はここで、指定内装業者という立場を利用して、
一工夫したんです。

続きは、近日中に
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職人とは・・・・ [過去の経験談]

『始めの頃は、なんでも出来たほうがいい』
職人として独立して思ったことです。

会社に勤めていたときは、
《なんでもやる》といっても
内装関係の仕事を何でもやっていただけです。

内装の仕事というのは結構細かく分かれていて、
ほとんどの会社は何かを専門としてやっているんです。

クロス屋さんは壁紙クロスだけ、
床(ゆか)屋さんは床貼りだけ、
看板屋さんは看板を作って付けるだけ、
カーペット屋さんはカーペットを貼るだけ、
みたいな感じが多いので、
私がいた会社のようにクロスも床も看板も
ダイノックシートもなんでもかんでもやるところは
ほとんど無かったんです。

なので、私は内装の仕事全般が出来て
他の内装屋さんよりはたくさんのスキルがあったので、
いろいろな仕事を請けることが出来たんですけど
自分が独立してみて気が付いたのは、

《内装に絡む工事全般をちょっとずつだけでも出来たほうがいい》

ということだったんです。

水道、大工、電気、塗装、左官、
内装屋さんとは全く別の業種である職人さんたちの仕事を
出来たほうがいいということです。

たとえば、ラーメン屋さんが改装工事をするとなると
普通は、100万円くらい掛かります。

ラーメン屋さんは
工務店に仕事を依頼するんですけど
請けた工務店は、まず大工さんを呼ばないといけないですし、
電気工事は電気屋さんを呼ばないといけないですし、
壁紙はクロス屋さんを呼ばないといけなくて、
来てもらうタイミングも考えないといけないので
それぞれの職人さんに連絡をして
段取りを組まないといけないので、
どうしても手間も時間も経費も掛かってしまうんです。

でも、全般的な仕事のある程度のことが自分一人でできて、
ある程度ちっちゃい現場だったら自分だけでやっちゃえるので、
他の職人さんを呼ばなくても済むし段取りも組まなくてもいいんです。

しかも、余計な経費を掛ける必要がなくなるので、
通常だと100万円の見積もりを出さないといけないところを
60万円の見積もりとかで提示することができるので
仕事が取れるんです。

いろいろな職種の仕事を
少しずつできるようになっていくと、
平均して1日に5万円くらいは
稼げるようになっていっていました。

普通、営業へ行って、見積もりを出して、
仕事をして、請求書を書いて、休みも取って、
とかをしていると、1ヶ月のうち
10日間くらいは仕事が出来ないで、
実質、現場に出て仕事ができるのは
20日間くらいなんです。

なので、1ヶ月に130万円くらい売り上げて
30万円くらいが経費で、手元に残るのが100万円くらい
という感じでしたけど、遊びに使ったり、
生活費にやたらお金が掛かったりしていて、
何故かあんまりお金が無かったんです。

そんなとき、ある仕事の依頼が来ました。
運命を変える仕事です。

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