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日本の社会・会社は、歪んでます [過去の経験談]

山田社長メルマガシェアです。

会社の為に、一生懸命奉仕してたら・・・・

ちょっと悲しいお話が記載されてます。

今回の思い出話は、過去にも5、6回
このブログで出てきているかと思います。

それではどうぞ!!!
_____________________
おはようございます、山田です。

お盆、関西では昨日、終わりました。

私は、今年もある女性の冥福を祈りました。

今日は、私の胸にぽっかりと空いた穴について話します。

とても薄幸な女性でした。

昨日、梅田の北新地駅の近くの飯屋。

昼飯を食べるために入りました。

「変わってないなあ。相変わらず、ボロやんけ(笑)」
「Oさんともよく来たなあ。」

優しかったひとの想い出が蘇る。

Oさん、私の恩人。

私にパソコンをてほどきしてくれた師匠。

はじめて会ったのは、1997年。

私は、「太平洋プランニング株式会社」に入社したのです。

⇒いまは、解散してない。

三井住友銀行の子会社、ゴルフ場管理会社です。

私は、一応、「課長」という名目で経理部門に入りました。

Oさんは、27歳の可愛い女子社員でした。

しかし、よく仕事ができました。

そして、10人ほどいた女子経理部員のボスでした。
(たくさんのゴルフ場会社があったので、グループでした。)

パソコンの操作も詳しかったし、
経理の仕事もよくできました。

私よりも上でした。

とても真面目な良い娘さんでしたが、気が強かったです。

「Oさんは、平社員だけど、仕事がすごくできる。

上役でも『尊敬できない人、仕事ができない人』
のいうことは一切、聞かない。

山田くん、気をつけなさい。」

と最初の出社日に言われましたっけ。

私は、課長として入社したもののパソコンは苦手。

というか、それまでの人生で触ったこともない。

パソコンが恐かったのです。

しかし、三井住友銀行から来ている人に
「3ヶ月以内にパソコンを使えるようにならない場合、
クビです。」と宣言されました。

私は、一計を案じました。
「Oさんをてなずけよう。」(笑)。

それで、私はOさんに目をつけて、
甘いもの(饅頭、ケーキとか)をあげて、
仲良くなり、パソコンの使用法を教えてもらいました。

はい、山田くん、こういうのは得意(笑)。

彼女は、私のことが気に入ったのか、
とても親切に教えてくれました。

それだけでなく、直属の上司のUさんと私だけには、
特別の敬意を持って、接してくれたのです。

私、超短期にパソコンをマスターしました。

怖かったパソコンが愛用機に変わり、
高速で学習し始めました。

今、考えると私の人生の「奇跡の逆転劇」
がはじまったのです。

その後、私の会社で内部崩潰があり、
私も彼女も神戸に移りました。

私は、神戸のゴルフ場の現場と経理、
さらにインターネットの管理。

彼女は、親会社の経理。

次の年の10月、S銀行から突然の指令。

「中間決算をやることにした。至急、提出せよ。」

私は、30秒で「不可能」と判断して、
適当に作文して中間決算を提出しました。

所要時間30分(笑)。

「アホか。無理やんけ。」

私は、既にS銀行の本部のエリートたちと仕事で接触しており、
彼らの能力を見切ってました。

「銀行のエリートでも能力は、たいしたことないのう。
アホやんけ。」くらいに思ってました。

それよりも一緒にいた旧イトマンの商社マンの方が力はありました。

銀行員の方は、完全にバカにしていました(笑)

「中間決算?気まぐれで言ってきただけ。大勢に影響ないやんけ。」

彼ら程度の知能で考えることなど、すらすらと読めました。

「適当に作文しても重大なエラーにはならない。」

しかし、Oさんは違いました。

まじめな彼女は、根性でやり遂げました。

毎晩、夜の10時頃まで残業。

家にも持ち帰り、夜中の2時、3時まで睡眠を削って仕事。

これが2ヶ月か3ヶ月。

偉いです。

Oさんは、まじめで頑張りやさんなんです。

ついでに山田豊治さんは、テキトー、エエ加減です。。

数ヶ月後に私の「作文」はバレました。

当然、私は、ものすごく怒られました。

いや、私だけでなく、
ゴルフ場の支配人も一緒に東京に謝りに行きました。

新幹線の中で、元気のない支配人に
「命まで取られないですよ。堂々と行きましょう。」
と慰めたのですが、

支配人
「アホか、山田。お前のおかげで、わしまで怒られるのやあ。
お前は、どんな神経をしとるのやあ。」
とひどい剣幕でした(笑)。

東京では、社長にボロボロに怒られました。

支配人は、平身低頭です。

私は、「俺は悪くない。無理を言ってくる方が悪い。」
と思っていたので、終始、堂々としてました。

社長もそれに気がつき、「昼飯を食いに行こうか。」

昼飯の最中、
社長
「お前のおかげで、銀行にボロボロに怒られたのや。
それなのに、お前は、、、、、、、、、、。
屁とも思ってないなあ。」

その後の展開。

しかし、But、、、、、、、、。

Oさんは、過酷な勤務が原因で、
精神に変調をきたし、休職しました。

休職⇒退職に追い込まれました。

Oさんの親はカンカンに怒り、医師の診断書をもらい、
会社と対決姿勢です。

会社はビビってました。

結局、なんとか収まったのですが、
彼女の人生は暗くなっていきます。

このときを境に彼女の身体、
精神はボロボロになっていきました。

私?

私には、その後、いっさいのおとがめもありませんでした。

この件で嫌みを言われることもなく、
むしろ、気をつかってもらうようになりました。

というか、怖がらているというか、
「一目置かれている」感じ(笑)。

私の予想通り、たいした意味もなかったのです。

S銀行たいしたことない。

銀行はOさんの事件で、ビビってしまったのです。

こういう問題が明るみにでると銀行の責任問題になるので、
ひたすらビビってました。

私は、胸を張って、会社に行ってました。

その後、銀行のOBの方に
「銀行の人たち、みんな、私のこと、怒っているだろうなあ?」
と聞くと。

笑顔で「なーに。反対やでえ。」

「みんな、『たいした男や!』と言っているよう。

『あの肝の据え方は真似できん。』と褒めてる。」

世の中、こんなもんです。

腹を決められる方が強い!

Oさんは、なんとか体調を持ち直して、
いろいろな会社に履歴書をだしました。

しかし、日本の会社、
30歳を過ぎると良い職場にははいりにくいです。

さらに正社員の壁が厚くなってきました。

その後、彼女は「派遣」で働くことになりました。

経理としてはすごく力のある娘さんでした。

あ、私よりも上(笑)。

しかし、日本の社会はキツイです。

一度、退職するともうダメ。

ここ、ほんとに怒りがこみ上げてきます。

どんなに実力があっても一度でも会社を辞めると
それ以下の会社にしか行けない。

実力主義じゃないのです。

年齢も30歳を超えると正規の社員は難しくなる。

35歳、40歳になると非正規にしかなれない。

そして、暗い老後におびえながら、日々をすごすしかない。

こんな社会、おかしい。

Oさんは、人目を引くほど可愛い容姿だったのですが、
なかなか彼氏もできなかったようです。

20歳代の頃は、彼氏がいたのですけどね。

その後、恋愛もなかったのですね。

⇒冗談半分で(本音でかな?)、
「私の理想の男性は山田さん」とか言ってましたっけ。

本気だったといまは思います。

そして、例の事件以後、体調も崩れがちとなり、
最後には癌になり、45歳で天国に。

「Oさんの人生はなんやったんやろう?」

生真面目に働くだけ働いて、
「Oさん、何が楽しみあったんやろう?」

ただ、一生懸命に働くだけ、なんにも報われなかった人生。

たまに連絡をとり、近況を伝えると。

Oさん
「山田さん、外国に好きなときに好きなように行けていいなあ。
私もヨーロッパとかアジアの国々に行ってみたい。」

私「行ったらエエやん。」

Oさん、笑いながら、
「そんなん、お金もないしー。

『貧乏暇なし』なんよ。

でも山田さんのように人生を思い切り生きてみたいなあ。

話を聞いているだけで、胸がすかっとする。」
と言ってました。

あれ、本心だったのですね。

可愛い容姿だったのに結婚もせず、
だから、子供を産むこともなく、
暖かい家庭を持つこともなく、死んでいったOさん。

無念だったろうなあ。

私は、いつも彼女にパソコンを
教えてもらった恩を感謝していました。

⇒彼女は優しい性格で、たくさんの生徒!
 を社内でも持ってました。

教えるのが好きで向いていたのですね。

私が、独立した頃、こんな話をした記憶があります。


「はじめて、私に会ったときはどう思った?」

Oさん
「風采のあがらない中年のおじさん(笑)。

『パソコンも扱えないし、かわいそうやなあ。
ちゃんとマスターできるのかなあ?』
正直、こう思ったわ。」


「やかましい(笑)。
饅頭とかケーキとかやったやんかあ。」

Oさん
「ごちそうさまでした。山田さんには甘いもので
 餌付けされたもんねえ。」

Oさん
「でも、第一印象は良くなかったけど、毎日会っていたら、
山田さんのこと、尊敬するようになったんよ。」


「サンキュウ。Oさんにパソコンを教えてもらわなかったら、
俺の人生、真っ暗闇やった。ありがとう。」

Oさん
「そんな。1年も経たない間にパソコンでは、
あっという間に追い抜かれてしまったもんなあ。

私、ほんまにびっくりしたわあ。

たくさんの人に教えたけど、
山田さんみたいな人はいなかった。」


「良い生徒あったやろ?」

Oさん
「『One and Only』最高の生徒でしたよ。

第一印象はよくなかったけど、
どんどん尊敬の気持ちが湧いてきたわ。

『ここまでやるのかあ。
世の中には、こんなすごい人もおるのやなあ。』
とか思ったわ。

『こいつ、かっこいい!』と思って。
努力家だったものねえ。」



「『こいつ』って(笑)」

彼女は、なんのために生まれてきたのかなあ?

そう思います。

彼女の死後、お母さんと話しました。

「娘は、いつも山田さんの話をしていましたよ。

『インターネットで大成功しやはったんよ。』

『人生のどん底から這い上がりはったんよ。』

『私、雇ってくれへんかなあ。』と言ってました。」

そうか。

俺に言ってくれてたら、良かったのに。

彼女なら、1から教えたら稼げたのに。

Oさん、生まれ変わったら、起業して、
誰にも縛られずに自由に生きてほしい。

薄情な日本の会社に縛られないように。

そして、結婚して、丈夫な子を産んでほしい。

心から、そう思う。



山〇〇治


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